私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

ダカーポだからフェルマータ

映画を観てきた。こっちに来てから、初めて夫と一緒に行った。

観たのは、『シン・ヱヴァンゲリオン劇場版』

前作のQも夫と一緒に観に行ったのですが、夫はすっかり忘れていました。

観に行こうと思った週末の土日とも休みで、土曜の午前中は夫の行きたいイベントに付き合い、午後か、夜にでもと思っていたら、行かないので、日曜に一人で行ってきてと言われたから、日曜の昼前の回を起きてすぐに予約したら、私よりもずっと早く起きてQを見返していた夫が、やっぱり行くと言い出し、慌ててチケットを追加しました。

田舎の映画館は空いてて良かった。

ネタバレするので、折りますね。

続きを読む

何でもない日に乾杯したい。

 映画を観てきた。夫に内緒で映画を観に行くのは、何度目だろう。

こちらに越してきてからは3度目。

車で15分もかからない場所に映画館があるなんて、とても幸せ。

気になっていたけど、観るか迷っていたら、ちょうど、夫だけ仕事に行く日があったので、その隙に観に行った。

『花束みたいな恋をした』が、気になっていたのは、脚本が坂本裕二さんだからだ。

推しが出演していたドラマ『カルテット』は最高に面白かった。

箇条書きのような、会話劇のような、日々の流れを淡々と描いているだけなのに、心が揺さぶられ、痛みを感じた。

それは、私がアラフォーの既婚者で、主人公達が過ごしたような日々に似たような、それには遠く及ばないような、あんまり思い出したくない日々を過ごしたことがあるからで、同じスクリーンにいた、10代の女の子や、20代のカップルは、また全然違う感想を持つのだろう。

詳しい感想をとても上手には書けそうにないので、浮かんでくるままに箇条書きにしてみようと思う。

翌々日に読んだ『違国日記』の7巻もなんだかタイムリーな内容だったので、大いに引きずられてしまった。

 

同じ言葉を話す相手と出会うのは難しい?

語彙力に惚れる。

言葉は響くのではなく染み込む。

同じものに惹かれるのは、同じ穴を持っているから?

モラトリアムの原罪

楽しむにはお金が必要

仕送りと長岡弁

社会に出ると途端にホモソーシャルの輪の中に沈められる

生きる場所が変わると、話す言葉が変わる?

やりたくない競争は、チキンレース

どこまで行けばいいのか分からない

さわやかの待ち時間

文庫を持ち歩くタイプ

5年の辛抱

「人生って、責任だよ。」 「へー、大変そうっすね。」

結婚なら、家族なら

今日、楽しかったから

終わりにするなら、こんな日だよねって、なんだっけ?

 京王線沿線

これから伸びると思う

浮気するのは彼女の方

ステレオとモノラル

昼ビールという悪行

 理解するための語彙力

 

 【追記】

漫画家さんの考察を読んで、この文章がとても恥ずかしくなってしまいました。

まんまと映画の術中に嵌り、鏡に映った画を観ているとは思っていなかった。

それはそれで楽しかったので、面白い映画を観たなという気持ちは変わらないけれど、

私の感想は私の中にあるものを映画を通して観たということだなということは間違いない。

あと、終わりにするならこんな日だって言うセリフは、三月のライオンであかりおねいちゃんが、父親と決別した時の言葉だった。

フィクションの台詞は染みる。

 

 

二人の年末年始の雑感。

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

松明けてますけど。一応、年末年始の動向を記録しておこうかと。

昨年は、超絶珍しく、夫が30日からお休みでした。例年通り、体調は崩していましたが、休日診療にお世話になることはありませんでした。

年末年始は帰省するつもりでしたが、義両親の方から来てくれるなと言われたので、久々に家で過ごすことになりました。

気は楽ですが、諸々準備を自分でしなくてはいけないのが、面倒。

会社の方は、一昨年同様、29日まで仕事でしたが、さすがに皆で食事に出ることは出来ず、折り詰めを取りに行って、お寿司をご馳走になりました。

そういうお遣いは、私と同僚女子の二人で行くのですが、慣れないライトバンを下手くそな私が駐車したら、帰りの運転をしてくれた同僚が車通りの多い道に出るのに苦戦を強いられ、完全に私が罠をかけた感じになりました。ごめんね。

昨年は、日程的に年末もバタバタ仕事をすることになってしまい、夕方まで仕事で良かったなと思ってしまいました。悔しい。でも、ある程度、処理の目処をつけた状態で休みに入れたのは、本当に良かったです。

休みに入る前の週末に台所廻りの掃除をしておいたので、30日は私だけリビングの掃除をして、午前中から私の車のカスタマイズをしてくれていた夫を途中から手伝いました。

ドライブレコーダーとETCが付きました。私としてはドラレコだけでも良かったんですけど、後日、ETCを利用して高速に乗ったら、めちゃくちゃ楽だったので、付けてもらって良かったです。

31日から雪の予報が出ていたので、30日の夕方に夫とスーパーに食材を買いに出ました。ほとんど31日に食べる用の物を買ったのですが、なんか、すごい金額行きました。

わかってたことだけど、夫と買い物に出かけて買い過ぎなかったことは無い気がする。

2人しかいないのに、すき焼き用の肉を3パック買いましたからね。どうかしてる。

また、数日前から私が探していた干し貝柱も買えたのですが、思っていた以上に高くて、それは夫が買うのを躊躇っていました。本当に少量しか使わないので、最悪、缶詰で代用しようかと思っていたのですが、なんとかお許しが出て高級干し貝柱をゲットできました。

31日は、夫が風呂廻りを掃除してくれたので、私は洗面台を掃除。午後から買い物に出かけ、銭湯にも行きました。割と人が多かったので、それほど長居はせずに帰宅。

夕方には、夕飯のすき焼きを食べ始め、紅白が始まる前に一通り食べ終えてしまいました。結局、肉は2パック使いましたが、半パック分ぐらいは残したので、やはり1パックで十分だった気がします。年末年始用に高い米も買っておいたので、高い卵と一緒に食べると余計に美味しく食べられました。夫は、一人で1合半ぐらい食べていた気がします。お茶碗ではなく、カレー皿にご飯を盛っていたので、さもありなんという感じ。

主に紅白を見ながら、私は正月料理の準備。と言っても、お節はネットで注文したものが届いていたので、用意するのは、自分の雑煮と煮物ぐらいです。自分が正月に実家で食べていた地元の郷土料理「のっぺ」は、どうしても食べたかったので。

何度か実母が作るのを手伝ったことがあり、一度ちゃんとレシピも教わっているのですが、作る機会が無さすぎなので、入れるつもりで用意していたものを忘れてて後から追加したりもしましたが、なんとか作ることが出来ました。味付けは、ほぼ出汁と醤油なので、旨味たっぷりで失敗することもないんですけどね。

数年前に帰省しなかった時にも自分が食べたくて作ったのですが、実家と同じ感覚で大きな鍋に作ったら、山ほどできてしまった教訓を生かし、小鍋で作ったのですが、やはり想定よりも多くできてしまいました。

22時ぐらいには年越しそばを食べ、CreepyNutsのカウントダウンを聞いてから就寝しました。

元旦は、早めに起きて、おにぎりを握って、朝から福袋狙いにアウトレットへ行きました。

このために、私の車にETCを付けたといっても過言ではありません。

元旦の早い時間だったので、さすがに高速は空いてました。とはいえ、アウトレットの駐車場はすぐにいっぱいになったようなので、早く出てよかったと思います。

予定していた運動用の靴やウェアを買い、予定外に夫のアウターと靴も買い、福袋のタイツの詰合せを買い、夫がまたしても眼鏡を買い、エコバッグを買って帰りました。

自分の服も見に行きましたが、思ったようなものが思ったような値段ではなく、買いたいものがありませんでした。

なんだか焦りながら効率よく回れと怒られるのも嫌だったので、お昼前にはアウトレットを離れ、昼食にお節を食べました。ネットでそれなりの値段を出して注文したものなので、美味しかったですけど、義母が注文してくれる生協の奴の方が好みだし美味しい。

のっぺが意外なほど夫に好評だったので、結構食べてもらえました。まぁ、三が日はずっとお節食べてもらうんだけどさ。

午後は特になにもせず。ほぼ昼寝してました。夫は車いじってたみたい。

夜も、おせちを食べました。

2日の朝もお雑煮とのっぺを食べて、夕方まで夫の車の改造を見守りました。多少手伝いましたが、ちょっと昼寝もした気がする。

夕方から、念願の食洗機を買いに電気屋へ行きましたが、値段の折り合いがつかず、ネットで買うことになりましたが、分岐栓の選択が難しくて、まだ頼めてません。

3日は、午前中から大きな神社に初詣に出かけました。例年に比べたら、人が少ないんだろうなという印象。お守りなどはもらわず、境内の茶屋に迷いながらも辿りついて、きしめんを食べました。美味しかった。

帰りに駅ビルに寄ったら、北海道物産展をやっていたので、おやつを買って帰宅。

午後はやっぱりゴロゴロしてた気がする。一応、夕飯まで酒は飲まなかっただけ偉いと思う。

4日から夫は仕事始めだったので、数日ぶりに早起きしたけれど、めっちゃ辛かったので、見送ってから即、布団に逆戻り。結局、昼近くまで寝て、ようやく始動しようとしたら、夫から帰るコール。とりあえず自分の用事をしに出掛け、帰る頃に夫も帰宅してました。午後は、夫の洗車を手伝ってから、お弁当のおかず作り。色々使おうと思ってたお正月用の食材が結構ダメになってて、ショックでした。

そんな感じで、あっという間にお正月休みは終わり。仕事始めも初日から特に挨拶もなく、普通にフルタイムで仕事だったので、週末に休んだのとほとんど感覚変わらないです。ゴロゴロしてた割に、休んだ感じがしないのは何故だ。

まだ途中だった鬼滅の刃は、とりあえず年末に最終巻まで買ったのですが、読み終わるのがもったいなくて、まだ読み終わってません。やっと無間城から出てきたとこ。

本当に設定が緻密で、伏線だと思ってなかったところまでガンガン回収してくれて、気持ちいいけど悲しいことも多くて、終わるのが怖い。

いや、終わってるけど、読むのが怖い。

あと、クリスマス辺りから、全然ジムに行ってなくて、いい加減行かなきゃと思って仕事始めの日にジムに行ったら、急にやりすぎたみたいで、翌日はぎっくり腰のように腰が痛くて、翌々日は背面がバッキバキの筋肉痛になりました。何事も慢心してはいけませんね。

年が新しくなっても、不安なことは何も終わらず、むしろ不安が増していて、不穏な感じです。それも怖い。警戒して、予防する以外にできることはないのだけれど、今年こそ、色々楽しめるように、早い収束と政府のまともな対策と支援の充実を切に願います。

どうか、今年は良い年だったと言えるようになりますように。

当たり前のことをかく語りたい。

鬼滅の刃って、面白いですね。今さら感に溢れているし、分かり切ったことしか言えないですが、オタ語りする場がないので、妄言にお付き合いください。

原作の方は、まだ12巻までしか読んでいなくて、途中ですが、アニメはシリーズ1全部と映画を観に行きました。

最初は、何がそんなにウケているんだろう?何をそんなに盛り上がってるの?と、若干斜めに見ていました。

何度か、電子コミックの無料版で1巻の途中まで読んで、絵がジャンプぽくないな、とか、でも、設定が面白そうだな、ぐらいに思ってました。

映画が話題になって、毎日のように鬼滅の刃のオマージュとか、TLに流れてきて、これは、ちゃんと原作を抑えておきたいな、と思ったので、電子書籍を5巻まで買いました。漫画の1巻を読み終えたところで、アニメを見始めました。

アニメを見て、ああ、これはアニメで人気が出たのは納得だなと思える作品でした。

作画がいいのはもちろんのこと、演出がすごい。

脚本は、原作そのものと言っていいぐらい忠実なのに、それを描写する画の増やし方が、そのまま原作のコマ数を増やしたと思えるぐらい、丁寧な増やし方をしている。

ト書きの説明をナレーションにするのではなく、モノローグや台詞にすることで、より分かりやすくなっている。そう、アニメの方が、とても分かりやすい。必要に応じてエピソードの入れ替えもされているけれど、その方が自然に進められる。

アニメの方が、対象年齢が広いのかもしれない。

とは言え、グロい描写はそのままだし、エピソードは切なくて、悲しいし、幼児にまで受けているのは、正直よくわからないし、バンダイが出してる日輪刀のおもちゃは、ちょっと舐めてる気がする。原作読むまで、マジであの形に刀が変化するのかと思ってたよ。違うじゃん。普通に太刀筋の描写を具現化しちゃってるだけじゃん。

そして、時代背景がわりと大事なんじゃないかと思うので、その辺の基礎知識がないと、メッセージをそのまま受け止めすぎるんじゃないかと、いらぬ心配をしてしまう。

例えば、よく言われるところで、炭治郎の「おれは長男だから我慢できたけれど、次男だったら我慢できなかった。」とか、家父長制の歴史を最近生まれた子供がどれだけ理解できるんだろう。あるいは、それをまっすぐ受け止めすぎて、それまで培っていた正しさを曲げてしまうんじゃないかと、穿った見方をしてしまう。台詞自体は、炭治郎の性格や、これまでの生き方を如実に表している、とても場面に適した台詞であるのだけれど。

次男の想いに対しては、不死川兄弟の話や、煉獄兄弟の話で弟側の心情を描いているのだけれど、アニメと映画しか見ない若年や、幼年層には、その辺がまだ届いていないので。

自分は、その長男であることに矜持と責任を持っている炭治郎が切なくて仕方なかった。鼓の鬼と対峙する場面で自分を鼓舞する様を見て、漫画でもアニメでも泣いてしまった。

余談だけれど、鼓舞する話で、鼓で攻撃する鬼と闘ったり、絆を大事にする鬼が糸を使って攻撃したりするのが、韻を踏んでる感じで、巧さがすごいなと思う。

元は人間だった鬼が、どういう形で鬼になるのか、どういう武器を持ち、どういう攻撃をするのかで、その鬼の人間性が見えるのが面白い。

下弦の陸の一人である堕姫の武器が帯っていうのは、なかなか切ない。読み進めれば、鬼としての名前の由来もわかるのだろうか。

同じ台詞を違う用途で使ったりするのにも、言葉の持つ意味の深さを考えさせられるし、繋がりや表裏を感じさせる。

映画で言えば、「心が人間の原動力」とか、「集中しろ。」とか。

原作の散りばめられた伏線が、どう回収されていくのか、とてもワクワクする。鬼の設定にも説得力があって、面白い。まだ最後まで読んでいないので、分からないけれど、鬼化の秘密もとてもリアリティのあるものなんじゃないかと思ってる。

アニメは、演出の上手さ、芝居の上手さが際立つけれど、原作の強い言葉ありきなんだな。

芝居の上手さは、そのまま声優陣の話になってしまう。

台詞をどう言うか、という演出と、それに応える演技力が重なったからこその、このアニメのクオリティなんだと思う。すごい、当たり前のこと言ってしまったけど。

映画の方は、原作の膨らませ方がアニメ以上に丁寧で、巧で、この方がわかりやすいし、なんだったら、原作もこうしたかったけど、時間が足りないので削ったんじゃないかと思うような創り方だった。

色がついているという、今となっては当たり前のアニメならではの強みを存分に生かしている気がする。

さらには、アクションシーンの敵の動きなど、より分かりやすく、グロテスクに表現されていて、これは映画館で観てよかったな、と思った。気持ち悪かったけど。

映画では、炭治郎が夢の中で家族と再会するシーンで泣いた。家族が出てきてから、ずっと涙が止まらなかった気がする。炭治郎のテーマが流れると洩れなく泣く。最初にアニメで流れた時も泣いた。

煉獄さんが夢で弟と話すシーンと戦闘シーンで母親との思い出を回想するところでも泣いたし、炭治郎が逃げていく鬼に向かって叫ぶシーンでも泣いた。

エンドロールでも泣いたけど、煉獄さんを見てるだけで泣けてきただけで、あとから、テーマソングの『炎』が炭治郎が歌う煉獄さんへのレクイエムだと気付いて泣けてきた。そりゃ、売れるわ。買うわ。

柱合会議では、話通じない、融通が利かない、我が道行く系のお兄さんだと思ってた煉獄さんの笑顔にやられた。柱としての信念の深さと重さが辛かった。なんで、こんな魅力的なキャラクターが、映画にしか出てこないのか、漫画で言っても2巻分。短すぎる。惜しい人を亡くした。

悲しみを引きずりつつ、映画を観るまでお預けしていた7巻以降を読み始め、音柱を中心とする、花街編が始まって、気が付いてしまった。

柱一人一人が魅力的すぎる。この深さのエピソードを柱全員分やるの?この時点で、最終巻まで半分ぐらいしかないけど、足りる?6巻までで26話費やしてるアニメは、2巻分を2時間にしちゃう映画は、あとどれぐらいで、完結するんかな?

っていうか、作るよね?だって、観るもん。あれで終わりとか嘘でしょ?

特にアニメの方は、もう映画を観るしか選択肢がないような終わり方をしやがって、原作ねじ曲げて終わらす気なんてさらさら無さそうじゃん。

映画も、あれで終わりとか、煉獄さんが浮かばれなさすぎる。どれだけ時間が掛かってもいいから、最後まで作ってほしいな。

エヴァみたいに20年以上かかっても、観に行くから。

そういえば、23巻分も紙で買うのは置く場所に困りそうだなと思い、電子書籍で読み始めたのだけれど、電子書籍だとダウンロードするまで読めないから、買ってもお預けが可能だと気が付いた。電子書籍だから、買おうと思えばどんどん買えるんだけど、あえてそうせずに、最初に買った5巻分を3周ぐらいしてからアニメを見始め、アニメを1~2話分見終えたら、また原作を読み直す、という、今までにないねちっこい読み方をした。映画を観る前も、アニメを見終えた時点で10巻まで買い進めた原作を読むかどうか迷ったけれど、読まずに観に行った。それも正解だったと思う。読んでいても、十分楽しめただろうけど、初見の衝撃を楽しみたかった。

今も、スマホの中には15巻分が入っているけれど、10巻から12巻ぐらいを3周ぐらいしてる。年末年始の休み中には23巻まで読むつもりだけど、もったいない気持ちすらある。

何がそんなにも受けていて、何に盛り上がっているのかは、今もよくわからないけれど、面白い作品であることは、間違いない。

アニメでより分かりやすく、受け入れやすくなった。

キャラクターがそれぞれ魅力的で、エピソードも練られていて、伏線も多く、どんな展開になるのか、わくわくする。

今、読んでいる子供たちが大人になった時に、もう一度読んで欲しいなと思う。

鬼滅の刃って面白いねっていう当たり前の話でした。

過ぎたように思えない雑感。

 特に何もないまま、秋が過ぎ、冬の到来を感じる。

その割に、衣替えが全然進まなくて、箪笥の引き出しの中に、半そでTシャツとヒートテックが混在する、カオスな状態になっている。

引っ越してきて1年になる。あっという間過ぎて、そんな気がしない。

まだ暮らしにも慣れていない気がする。生活に対して気持ちが安定しない。

何かをどうにかしたいけれど、何をどうしていいかわからない。

とりあえず、溢れかえっている服と書類をどうにかしないと。

年末の大掃除で夫にブチ切れられる未来が見える。自分も何もしないくせに。

 

1年暮らしてみたけれど、不便に感じるだろうと思っていたことは、すべてCOVID-19に封じられたといっても過言ではない。

映画館も劇場もライブハウスも遠くて行けないというよりは、COVID-19が怖くて行けない。そろそろ映画は行こうと思っているけれど。

そういえば、最初は近場で上映がないと思っていた推しの主演映画が、家から一番近い劇場でも公開することになって、小躍りしてしまった。やはり国際映画祭受賞の影響が大きいのだと思う。とても有難い。

ライブにはいけないけれど、2度ライブ配信のチケットを買い、オンラインライブというものを楽しんだ。

生の臨場感とは別物だけれど、同じ時間を共有してるという楽しさはあった。

あと、アーカイブ観れるのが助かるし、嬉しい。

引っ越していなければ、無理をしてでも現地に行こうとして、夫と争っていたかもしれないが、田舎にいる分、諦めもつく。

 車生活の便利さには、ずいぶんとなれた。何度か危うい目にあい、ヤバイこともやらかしたけれど、とりあえず警察のお世話になってはいない。

つまらないことで、切符きられたりしないように、せっかくのゴールド免許を死守していきたい。

まだ田舎道しか走ったことはなく、都市部の首都高的な高速は、分岐が罠すぎて攻略出来る気がしないけれど、夫の実家ぐらいは行けるようにしておきたい。

けど今は、COVID-19のせいで、週末に夫の実家詣をすることもない。

結局、昨年からの年末年始で帰ったぐらいで、まったく顔を見せていない。

今年も年末から帰る予定ではいるようだけれど、特に何もしないんだろうなぁ。

引っ越す前は、実家が近くなる分、しょっちゅう行き来することになるのかと思っていたけれど、そんなこともなく、正直、気が楽。

 仕事に関しても、以前であれば、電車通勤だったので、通勤手段や時間の変更を余儀なくされていたかもしれないが、最初から車通勤なので、何も変わらない。

緊急事態宣言で学校や保育園がお休みになった時期には、同僚は子供を預けられなくて自宅待機をしていたけれど、自分は変わらず毎日出社出来ていたので、異動してきた甲斐があった気もする。

そう、職場にも1年いることになるのだが、正直、あんまり馴染めてる気がしない。

人見知りで、愛想の悪い性格のせいだろうけど。つまり、自分のせい。

仕事するうえで特に支障を感じることはないけれど、人の顔と名前が全然覚えられないのは、ちょっとヤバイ。

前の事務所よりも他社や客先が近いので、それなりに顔を合わせるのだけど、打ち解ける日は来るのだろうか・・・。

暮らしに関しては、思った以上に不便はなく、買い物にも困らない。

好きな蕎麦屋とラーメン屋が見つからないぐらいだけれど、それも、気にならなくなるだろう。

メゾネットタイプのアパートなので、最初は階段が不便かと思ったけれど、それも今のところは特にない。

夫がパソコン部屋に籠って過ごすのは前からだし、強いて言えば追い炊きできるようになったので、長風呂が前より酷くなったのが、ちょっと嫌だ。

もう少し改善していきたいところはあるけれど、いつまでここに住むかと思うと、新たに家具や家電を買う気がしない。

本当はコンシェルジュのいるマンションに住んで、ダイニングで食事をして、ソファで寛ぐ暮らしをしたいのだけれど、今のところ、夢のまた夢。

そもそも夫はこの土地に戸建てが欲しいと思い始めているようで、相変わらず私たちは展望が合わない。

家計の改善もしたいけれど、2人だけで話し合うのは難しいかもしれないので、保険含めてFPと相談したい。

なんて言っても、夫の仕事は予定が決められないので、何もできない。

私だけで済ませられることは、割とやっている方だけれど、それでも、何でもかんでも背負う気はない。

 夏から通い始めたジムは、ほぼ習慣になっている。すこし、ジムに重きを置きすぎてる気がするけれど、目標体重になるまでは仕方ないだろう。

まだ少ししか変化がなくて、目標にたどり着くのはいつになるのかわからないけれど、仕事が変わらなければ、変わらないペースで続けていけるはずなので、焦らずに、運動不足を解消するだけだ。

これが、ベストだと思える生活ペースではないけれど、とりあえず毎日、毎週のルーティンは出来てきている。

もう少し便利に暮らしたいなと思っているので、吸引力の強いコードレス掃除機と、食洗器が欲しい。あと、収納も整理したい。

先日、キッチンにマグネット式のスパイスラックを導入して、すごくよかった。

そういうものにお金をかける生活をしてこなかったので、もっと暮らしやすくなることに対して投資していきたい。

貯金のことは考えたくないけど、積み立てぐらい始めないと老後が不安だなと思い始めている。今さら。

とりあえず、今の土地にしばらく暮らすことになりそうなので、そのつもりで今後を考えたいけど、すべてにおいて、夫の仕事次第、つまりは、夫の心身の健康にかかってると思うと、なんか諸々する気が失せるな。

 どこにいても、何をしてても、お互い自分中心なところは変わらないみたいだ。

彼岸花の咲く頃になっても。

吹く風はすっかり秋なのに、青天の日差しの強さにいい加減辟易する。

先日、無事に健康診断を終え、増えた体重と向き合い、ビールで膨れに膨れた腹囲が、どうやらメタボ予備軍に選別されてしまいそうな事実に戦々恐々としている今日この頃。

ジムに通い始めても食べたいものを食べていた生活を少しずつ改め、とにかく焦らず続けることが大事と思いつつ、さんざん太っただの、おやつ止めなきゃだの言っていた同僚女性が、去年と比べて特に太ってもいなかったことを知り、はいはい、女子的なアレね!こちとら中年なんで、そういうのに付き合うの疲れるわ!と、八つ当たりしたい気持ちでいっぱいになりました。

彼女は何も悪くないのに。

身長が同じぐらいなので、体重も似たようなものだろうとお互いに思ってしまっているのかも。

そもそも、自分は子供の頃からのぽっちゃりなんだから、小柄で生きてきた彼女と基準が違って当然のはずなのに。

っていうかもう、本当にルッキズムとか体形とか痩せ神話と無縁になりたい。

女子力とかないんですよー、とか、女子同士のアレコレとかよくわかんないんですよねー、みたいなの聞くとモヤモヤするの止めたい。

多様性社会に生きたい。自分含めて。

夫にジムに行ってる成果が見えないだの、デブだの言われるのが、悔しくて悲しくて、ぶん殴りたくなる。

自分が拘っているから、相手の言動が気になって仕方ないのだ。

推しのことは顔が良いことが最高の魅力だと思っているくせに。

夫とTVを見ていて、やれ、このアナウンサーがブスだの、このスポーツ選手がデブだの言っているのを聞くと、本当にげんなりする。

見た目で勝負する仕事じゃない人まで、勝手に土俵に上げるなよって思う。

私も、見た目で勝負する立場じゃないから、勝手にジャッジしないでって思ってる。

せめて、堂々と口に出すのをやめて欲しい。

じゃぁ、なんでいつまでも、いつでもダイエットしてるのかって話になるんですけど。

残念ながら根っからルッキズムを刷り込まれてるので、自己肯定感を高めるのに、見た目を気にすることが必要になってしまっているんですよね。

別に自分のことは嫌いじゃないんですけど。いや、ダメなところは多々あるということは良く知ってるけど、今すぐ消えなければいけないというほどのことでもないだろうというぐらいの肯定感はあって、もっと自分を好きになりたいとか思ってるわけでもないんですけど、好きな服を好きなように着れたら、もっと楽しく生きれるかなっていう程度の希望はあるんですよ。

というわけで、簡単に言って趣味ですね。ダイエットは趣味。差し迫って達成しなくてはいけないノルマではないけれど、達成できたら、自分が嬉しくなれること。

嬉しくなれる項目に、見た目が付いてきてしまってるのが、前時代的で嫌ではあるんですけど、人に強要してないので、許してほしい。

他人に対して、太ってる痩せてるのジャッジをする時もあるけど、それを相手に伝えることはない。

同じように自分に対しての、太ってる痩せてるのジャッジだって、あえて人に伝える必要はないはずなんですよね。

つい、言いがちですけど。マウントの取り合いになって疲弊するだけなので、いい加減止めたい。

好きな服が着たいから、痩せたいって言いましたけど、私がすべての服をオートクチュールで買えるなら、それこそ痩せる必要なんてないんですよ。

体型に合った、似合う服を着ればいいんだから。

まぁ、太りすぎると、今度は健康面で心配なことが増えるので、それはそれで問題ですけどね。

自分のために、自分にとって納得いく体型でいたいから、趣味としてダイエットしてるってことですかね。

まぁ、ダイエットし続けてるのは、何度もリバウンドをしてるからですけど。

そりゃ、趣味としてのダイエットがそれ以外のことよりも下回って、好きなように食べてると太るんですよ。嗜好が太るものなので。脂とか糖とか酒とかの過剰摂取とかね。

中年になって、痩せにくくなってるので、同じようなことしてても、体重は減らなくなりました。

ジムに行くようになったのも、初めての試みなので、どう効果が出るのか、よくわかりません。

とりあえず、摂取カロリー<消費カロリーになるように気を付け始めてから、体重が減ってきたので、1年ぐらいは続けるつもり。それで、10Kgぐらい減ったらいいなと思ってるけど、どうかな。

毎日のようにジムに行くようになって、2か月ぐらい経ったから、生活サイクルが変わらなければ、このまま習慣化できると思う。

 

つくづくルーティンワークで良かったなって実感する。

夫には痩せないだの、効果ないだの言われてるけど、今に見てろって思ってる。

1年後に同じことは言わせねぇぞって気持ちがモチベーションになってる。

私を甘やかしてくれない夫にいら立つことも多いけど、求められるものが高い方が成長できるような気になる。

そういえば、女子力云々の話ですけど、自分が関わってきたグループの傾向的に、そういうこと言う女子の方が多くてですね。

むしろ、私にとっては、そっちの方が女子っぽいというか、あるあるなんですよね・・・。

女子ってそういうこと言いがちだよね。って思ってしまう・・・。

それもまた、拘っているから、否定しがちなんだろうな、みたいな。

自分が無関心なだけかもしれないけど、よく言う女子同士のドロドロみたいなのは、みたことなくて、どっちかというと、ガチンコ対決してるのは、何度か見たことあるんですけど。

陰口や嫌味ぐらいなら、男同士で言ってるのいくらでも聞いてるので、そこに性差なんてないんじゃないかと思ってます。

性差が見えがちな思春期は、それこそ成長途中なので、精神的な幼さの表れだと思うし。

10代の頃の特徴がそのまま残っているのは、ただ人として未熟だってことじゃないのかな。

じゃぁ、成熟とは何かってことになると、正解はわからないけど、少なくとも自分と他人の存在を肯定することが出来る人を、私は未熟だとは思えない。

カテゴライズすることだけで、他人を推し量ろうとする人を成熟してるとは思えない。

拘ってしまうのは、やっぱり上の世代からの刷り込みなんだろうけど、せめて、それを下の世代に引き継がないでいこうねって思う。

あなたの娘には、同じこと言ってくれるなよって思うんだ。

 

それこそ、大きなお世話だろうから、絶対に口に出したりしないけどさ。 

久しぶりにガッツリ同世代の同性と絡む日々なので、色々気を付けてますよ。

無神経なのは自覚してるけど、余計な事言いがちだから、考えて口に出すように頑張ってます。まだ、頑張り足りないけど。

こっちに来て、10か月ぐらい経つので、色々気が抜けててヤバイです。

先日も笑えないことやらかして、夫に泣きついたばかりです。

自由が増えたなって思っていたけど、その分、責任が増えたことも自覚しなくてはいけない。

当たり前は、生活に即して変わっていくのだから、そこを無自覚でいてはいけないのだ。

アップデートできる人間でありたい。

いつもと違う夏がきたらしい。

長かった梅雨が終わり、とうとう夏がきた。

先々月頃はじわじわと暑かった割に、梅雨が長かったので、このまま冷夏になると思いきや、暑いです。日差しが強いです。

車生活にもすっかり慣れ、ほとんど外を出歩くことはありませんが、それでも暑い。

毎年思うけど、本当に内勤の仕事でよかったわー。

相変わらずCOVID-19の罹患者は増え続けていて、終わりが見えないので、夏になろうと夏休みが来ようと、あまり開放的な気分にはなれず、そこそこ買い物は行きますが、都市部に近づくのは怖いなという感じ。

旅行もしたいですが、そんなのはもっての外ですかね。京都に行きたいのに。

昨年には普通に出来ていたことが出来ないもどかしさは、地方に引っ越してきた、という理由で感じるだろうと思っていたのに、まさか、流行り病のせいで、そんなことになろうとは、つゆほど考えていなかった。

一体、今年はどうなってしまったんだろうか。オリンピックイヤーの閏年で、私の厄年。厄年のウェイトが大きすぎやしないか?私と同じ生まれ年の女性たちの厄が世界中に降りかかってるのだとしたら、どんだけ業が深いんだ。

誰も悪くないし、誰も憎めないはずなのに、感染者をケガレみたいに扱ってるのも怖いし、不安を煽るような報道も腹立たしい。

自主的な自粛ばかりを求めて補償しない国や自治体にガッカリする。

生活として特に変化がなく、仕事もある自分はだいぶ恵まれている方だ。

自粛期間中は休業している人たちが、ただのお休みに見えて、羨ましくすら思っていたのに、今は、日常を続けられることが有難い。

おうち時間は特に増えてないのに、体重増加は著しく、ジム通いを始めた。

まだ1か月も経っていないし、新しく買った夏物のスカートはいつもより大きめのサイズを選んだはずなのに、未だにホックを留められないので、体重計には怖くて乗れていない。

とりあえず1か月ごとに体重ぐらいは測るつもり。運動での変化は3か月ぐらい経たないと出てこないことは経験で知っているので、大人しく健康診断まで粛々とジムに通おうと思っていたら、こっちの健康診断が今までより、1か月早いでやんの。

3か月あると思ってたのに2か月しかないなんて、嘘だろ?さすがに無理だよ。

昨年の体重は忘れたけど、それより太ったことは間違いないので、少しでも減らせるように頑張ります。

マスク必須だから、運動してる時はめちゃくちゃ息苦しいけど、ついでに肺活量も増えたらいいな。

ジムで汗だくになっても、車移動だから、着替えせずに家に帰ってお風呂に入れるのは助かる。ジムにもシャワーはあるけど、家の方が気兼ねせずに入れるしね。

今の家は、リビングとキッチンが一間になっているから、料理していても冷房が効いているので、汗だくにならないし、とても快適。

昨年まで、夏は汗だくになりながら、冬は凍えながら料理していて、リビングの扉を開けてくれない夫に恨み言をぶつけていたのが、嘘のよう。

環境を整えるっていうのは、大事なんだなって気が付いた。

昔のブログで、まだ1Kに住んでいた夫の部屋で洗い物をしていた時、寒いから暖房を付けているリビングとの扉を開けていたら、部屋の温度が下がる!と閉められたことを愚痴ると、「ぶしつけながら、その男はやめた方がいい。」というようなことをコメントしてくださった方がいたことを思い出した。

最初から、今のようにリビングとキッチンが一続きになっている部屋に住んでいたら、そんな喧嘩をすることはなかっただろうし、そんな愚痴を見かけた誰かに心配していただくこともなかった。

しかし、夫が私への気遣いよりも自分の暖を気にするような人だということを知ることもなかったし、誰もみてないと思ったブログは、ちゃんと全世界に向けて発信されているんだと気付くことができた。

夫との関係は、わりと相変わらずだけれど、環境が変わったせいか、夫が忙しすぎて顔を合わせる時間が短いせいか、あまり喧嘩していない気がする。

時々、一方的に怒られたり、こちらが腹を立てていることもあるが、そこまで深刻なことにはなっていない。

ここまで来たんだから、なにかよっぽど決定的なことが起きない限り、極端なことにはならないだろう。多分。

余談だが、この辺の方言なのか、何かの会話の際に、「よっぽど」という言葉をよく耳にする。「よっぽど大丈夫だと思うけど。」という感じで使うので、使用法について、違和感はないのだけれど、なんとなく、それほど強調したい場面でもないのに、使っている印象がある。

それはさておき、今さら地方に住むことに不安しかなかったけれど、今まで夫に頼りきりだった車の運転を住んでいる地域に限定してでも自分で出来るようになったことが、大いに自信に繋がっている気がする。

夫の車を自信を持って運転することは出来ないけれど、自分の車ならば、好きな時にある程度好きな場所に行けるというのは、新しい自由を手に入れた気分だ。

自分の用事のために、夫に頼まなくていいというのは、気が楽なのだ。

車のおかげで、距離を気にせずに、今までと同じ感覚で買い物に行けるのは助かる。

行く先はせいぜいイオンだけれど。

ああ、早く何も気にせずに旅行できるようになってほしい。

相変わらずお盆休みもなく、帰省も何もないけれど、昨年の今頃は、新居探しなどでこちらに来るのが旅行気分だったのが、もはや懐かしい。

新幹線の車内販売でビール買うのが楽しみだったのに。

 こっちの方が関西方面が近いから、また京都に行こうと思ってたのに。

本当に何をどうすれば収束するのかわからない。年明けぐらいまでオリンピックやる予定だったのも今となっては、嘘のよう。

 災厄に理由なんてないのかもしれないけれど、何かを恨みたいような気持にもなる。

 放送延期になっていた春ドラマがどんどん始まり、ようやく推しのドラマも始まって日常の有難さを感じている。

今、観ていて一番面白いのは『MIU404』だ。特に4話の話と演出の秀逸さに観ていて鳥肌が立って、涙が溢れた。主題歌の『感電』もドラマに合っていて、PVも巧みで何回も観てしまった。

『アンナチュラル』も好きだったけれど、死者と向き合うのはある意味、完結してるものを紐解いていくのだから、すっきり観れて当たり前だったのかもしれないと思った。

生きてる人を物語る方が、辛くて重くて、残酷だ。

推しもMIU404にゲストででも出演してくれていたらよかったのになぁ、と思いつつ、とにかく生きて仕事してくれてるだけで、何事にも代えがたく、本当にありがたいことだと、信じがたい突然の悲しいお知らせを聞いて、心から思った。

知らせを聞いたときは、どうして?しか浮かばなくて、信じられなくて、2~3日はニュースも見られなかった。

いつも聞いている全然関係ないだろうラジオに話題に出された時も耳を塞ぎたくなった。

推してた、と言えるほどではないけれど、間違いなく好きな俳優さんの一人だったし、これからも活躍してくれると信じて疑っていなかった。

今も、情報を集めたりはできないけれど、彼の功績と遺してくれた星の輝きのような出演作品があるかぎり、俳優としての彼は変わらず私の中で存在するんだなと思っている。

 テレビで推しの存在を確認する度、ドラマに感動する度、ラジオを聞いて声を上げて笑う度、エンタメという不要不急から真っ先に外されてしまいそうなことに、私は生かされているんだと考えずにいられない。

そこに従事するすべての人に感謝すると共に、形が変わっても工夫しながらエンタメを作り続けていることに敬意をもって楽しませていただきたい。