私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

当たり前のことをかく語りたい。

鬼滅の刃って、面白いですね。今さら感に溢れているし、分かり切ったことしか言えないですが、オタ語りする場がないので、妄言にお付き合いください。

原作の方は、まだ12巻までしか読んでいなくて、途中ですが、アニメはシリーズ1全部と映画を観に行きました。

最初は、何がそんなにウケているんだろう?何をそんなに盛り上がってるの?と、若干斜めに見ていました。

何度か、電子コミックの無料版で1巻の途中まで読んで、絵がジャンプぽくないな、とか、でも、設定が面白そうだな、ぐらいに思ってました。

映画が話題になって、毎日のように鬼滅の刃のオマージュとか、TLに流れてきて、これは、ちゃんと原作を抑えておきたいな、と思ったので、電子書籍を5巻まで買いました。漫画の1巻を読み終えたところで、アニメを見始めました。

アニメを見て、ああ、これはアニメで人気が出たのは納得だなと思える作品でした。

作画がいいのはもちろんのこと、演出がすごい。

脚本は、原作そのものと言っていいぐらい忠実なのに、それを描写する画の増やし方が、そのまま原作のコマ数を増やしたと思えるぐらい、丁寧な増やし方をしている。

ト書きの説明をナレーションにするのではなく、モノローグや台詞にすることで、より分かりやすくなっている。そう、アニメの方が、とても分かりやすい。必要に応じてエピソードの入れ替えもされているけれど、その方が自然に進められる。

アニメの方が、対象年齢が広いのかもしれない。

とは言え、グロい描写はそのままだし、エピソードは切なくて、悲しいし、幼児にまで受けているのは、正直よくわからないし、バンダイが出してる日輪刀のおもちゃは、ちょっと舐めてる気がする。原作読むまで、マジであの形に刀が変化するのかと思ってたよ。違うじゃん。普通に太刀筋の描写を具現化しちゃってるだけじゃん。

そして、時代背景がわりと大事なんじゃないかと思うので、その辺の基礎知識がないと、メッセージをそのまま受け止めすぎるんじゃないかと、いらぬ心配をしてしまう。

例えば、よく言われるところで、炭治郎の「おれは長男だから我慢できたけれど、次男だったら我慢できなかった。」とか、家父長制の歴史を最近生まれた子供がどれだけ理解できるんだろう。あるいは、それをまっすぐ受け止めすぎて、それまで培っていた正しさを曲げてしまうんじゃないかと、穿った見方をしてしまう。台詞自体は、炭治郎の性格や、これまでの生き方を如実に表している、とても場面に適した台詞であるのだけれど。

次男の想いに対しては、不死川兄弟の話や、煉獄兄弟の話で弟側の心情を描いているのだけれど、アニメと映画しか見ない若年や、幼年層には、その辺がまだ届いていないので。

自分は、その長男であることに矜持と責任を持っている炭治郎が切なくて仕方なかった。鼓の鬼と対峙する場面で自分を鼓舞する様を見て、漫画でもアニメでも泣いてしまった。

余談だけれど、鼓舞する話で、鼓で攻撃する鬼と闘ったり、絆を大事にする鬼が糸を使って攻撃したりするのが、韻を踏んでる感じで、巧さがすごいなと思う。

元は人間だった鬼が、どういう形で鬼になるのか、どういう武器を持ち、どういう攻撃をするのかで、その鬼の人間性が見えるのが面白い。

下弦の陸の一人である堕姫の武器が帯っていうのは、なかなか切ない。読み進めれば、鬼としての名前の由来もわかるのだろうか。

同じ台詞を違う用途で使ったりするのにも、言葉の持つ意味の深さを考えさせられるし、繋がりや表裏を感じさせる。

映画で言えば、「心が人間の原動力」とか、「集中しろ。」とか。

原作の散りばめられた伏線が、どう回収されていくのか、とてもワクワクする。鬼の設定にも説得力があって、面白い。まだ最後まで読んでいないので、分からないけれど、鬼化の秘密もとてもリアリティのあるものなんじゃないかと思ってる。

アニメは、演出の上手さ、芝居の上手さが際立つけれど、原作の強い言葉ありきなんだな。

芝居の上手さは、そのまま声優陣の話になってしまう。

台詞をどう言うか、という演出と、それに応える演技力が重なったからこその、このアニメのクオリティなんだと思う。すごい、当たり前のこと言ってしまったけど。

映画の方は、原作の膨らませ方がアニメ以上に丁寧で、巧で、この方がわかりやすいし、なんだったら、原作もこうしたかったけど、時間が足りないので削ったんじゃないかと思うような創り方だった。

色がついているという、今となっては当たり前のアニメならではの強みを存分に生かしている気がする。

さらには、アクションシーンの敵の動きなど、より分かりやすく、グロテスクに表現されていて、これは映画館で観てよかったな、と思った。気持ち悪かったけど。

映画では、炭治郎が夢の中で家族と再会するシーンで泣いた。家族が出てきてから、ずっと涙が止まらなかった気がする。炭治郎のテーマが流れると洩れなく泣く。最初にアニメで流れた時も泣いた。

煉獄さんが夢で弟と話すシーンと戦闘シーンで母親との思い出を回想するところでも泣いたし、炭治郎が逃げていく鬼に向かって叫ぶシーンでも泣いた。

エンドロールでも泣いたけど、煉獄さんを見てるだけで泣けてきただけで、あとから、テーマソングの『炎』が炭治郎が歌う煉獄さんへのレクイエムだと気付いて泣けてきた。そりゃ、売れるわ。買うわ。

柱合会議では、話通じない、融通が利かない、我が道行く系のお兄さんだと思ってた煉獄さんの笑顔にやられた。柱としての信念の深さと重さが辛かった。なんで、こんな魅力的なキャラクターが、映画にしか出てこないのか、漫画で言っても2巻分。短すぎる。惜しい人を亡くした。

悲しみを引きずりつつ、映画を観るまでお預けしていた7巻以降を読み始め、音柱を中心とする、花街編が始まって、気が付いてしまった。

柱一人一人が魅力的すぎる。この深さのエピソードを柱全員分やるの?この時点で、最終巻まで半分ぐらいしかないけど、足りる?6巻までで26話費やしてるアニメは、2巻分を2時間にしちゃう映画は、あとどれぐらいで、完結するんかな?

っていうか、作るよね?だって、観るもん。あれで終わりとか嘘でしょ?

特にアニメの方は、もう映画を観るしか選択肢がないような終わり方をしやがって、原作ねじ曲げて終わらす気なんてさらさら無さそうじゃん。

映画も、あれで終わりとか、煉獄さんが浮かばれなさすぎる。どれだけ時間が掛かってもいいから、最後まで作ってほしいな。

エヴァみたいに20年以上かかっても、観に行くから。

そういえば、23巻分も紙で買うのは置く場所に困りそうだなと思い、電子書籍で読み始めたのだけれど、電子書籍だとダウンロードするまで読めないから、買ってもお預けが可能だと気が付いた。電子書籍だから、買おうと思えばどんどん買えるんだけど、あえてそうせずに、最初に買った5巻分を3周ぐらいしてからアニメを見始め、アニメを1~2話分見終えたら、また原作を読み直す、という、今までにないねちっこい読み方をした。映画を観る前も、アニメを見終えた時点で10巻まで買い進めた原作を読むかどうか迷ったけれど、読まずに観に行った。それも正解だったと思う。読んでいても、十分楽しめただろうけど、初見の衝撃を楽しみたかった。

今も、スマホの中には15巻分が入っているけれど、10巻から12巻ぐらいを3周ぐらいしてる。年末年始の休み中には23巻まで読むつもりだけど、もったいない気持ちすらある。

何がそんなにも受けていて、何に盛り上がっているのかは、今もよくわからないけれど、面白い作品であることは、間違いない。

アニメでより分かりやすく、受け入れやすくなった。

キャラクターがそれぞれ魅力的で、エピソードも練られていて、伏線も多く、どんな展開になるのか、わくわくする。

今、読んでいる子供たちが大人になった時に、もう一度読んで欲しいなと思う。

鬼滅の刃って面白いねっていう当たり前の話でした。