私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

ダカーポだからフェルマータ

映画を観てきた。こっちに来てから、初めて夫と一緒に行った。

観たのは、『シン・ヱヴァンゲリオン劇場版』

前作のQも夫と一緒に観に行ったのですが、夫はすっかり忘れていました。

観に行こうと思った週末の土日とも休みで、土曜の午前中は夫の行きたいイベントに付き合い、午後か、夜にでもと思っていたら、行かないので、日曜に一人で行ってきてと言われたから、日曜の昼前の回を起きてすぐに予約したら、私よりもずっと早く起きてQを見返していた夫が、やっぱり行くと言い出し、慌ててチケットを追加しました。

田舎の映画館は空いてて良かった。

ネタバレするので、折りますね。

 感想と言うと、難しいし、賛否あるのはよくわかるけれど、個人的には、まぁ、完結したね、という感じ。

本当に、新劇場版は、作り直しだったんだなと思えるような、TV版、旧劇版の踏襲具合で、まぁ、知ってたよ、分かってたよ、と思うところも多々ありましたが、エヴァらしいと思える完結だったと思います。

内容的には、なんか、色々我儘聞いてもらったな、と思うような盛りっぷりで、全部乗せ感が凄かったけれど、こうでもしないと終わらないんだ、終わらせたいんだという気概を感じました。

夫は見た直後に、よくわからんと言っていて、それも予想通りだった。

TV版を見た時は中学生だったけれど、今は、中年になったので、ついメタで見ようとしてしまい、製作側の方に思いを馳せてしまうのも、まぁ、ゼーレのシナリオ通りなんだろうなと。

前半の村生活パートは、なんだかんだ、大人になった当時の子供視聴者に向けられている感じが強くて、懐かしさもあるし、生活って大事だよな、と思わされる。

常夏設定だったはずの世界で、稲作が可能なのかという疑問はあるんだけど、長米とかだったのかもね。

新劇場版になって、アスカやレイの過剰なサービスショット的アングルが非常に目に付くようになってしまい、自分のジェンダー指数アップしてるんだなと気づいた。

後半の裏宇宙の話は、正直、設定として全然理解できないんだけど、もう、そういうもんだと思ってそのまま受け取ろうと思えるのはTV版を通っているからかも。

あれでも、分かりやすくしてくれてるんだろうなぁ。

リツコとミサトの説明してるようで全然内容わからない長台詞は、聞いてて気持ちいいんだよな。

ゲンドウの独白はそれこそ賛否ありありだろうし、まぁ、知ってたけど、そういうことだろうと思っていたけど、承服しかねる。という感覚。

頭のいい奴は何するかわかんねぇよな。って感じ。規模デカすぎ。

冬月先生に対する解釈は難しいけれど、個人的には、学者的興味が行き過ぎた感じなのかなと思ってます。付き合い良過ぎよ。

背景があるようでないようで、余白があるようでないような、多面的で多機能なコンテンツ消費が過剰すぎる作品で、終わったけれど、残る作品。

監督お疲れ様です。作ってくれてありがとうという気持ちはある。

作画が綺麗で、マシンの動きも面白いし、Qからの新キャラのラインナップとか、お約束が過ぎる感じで、こういうのがいいんだろ、こういうの出したら満足するんだろ、と言われてるような気もして、なんか、恥ずかしさすら感じるけれど、子供の頃にみて、好きになったものは、大人になっても好きに違いないんだよ、ちくしょう。

シンジ君に対しては、相変わらずだなと思うし、そういうシンジ君を求め続けてきたんだなと思うし、それでも、やっぱり最後には乗り越えていってほしくて、そうしてくれた彼を嫌いになれないんだよな。

最後の大人シンジ君が声違うの聞いて、ああ、彼は声変わり前だったんだ・・・となんか感慨深かった。

アスカがQから苦労がすごくて、大人になるのって辛いなって思った。より大人のマリに救われてるのか。最後に残るのがマリっていうところも、新劇場版として全うしたと思う。

ありがとう、全てのエヴァンゲリオン