私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

いつもと違う夏がきたらしい。

長かった梅雨が終わり、とうとう夏がきた。

先々月頃はじわじわと暑かった割に、梅雨が長かったので、このまま冷夏になると思いきや、暑いです。日差しが強いです。

車生活にもすっかり慣れ、ほとんど外を出歩くことはありませんが、それでも暑い。

毎年思うけど、本当に内勤の仕事でよかったわー。

相変わらずCOVID-19の罹患者は増え続けていて、終わりが見えないので、夏になろうと夏休みが来ようと、あまり開放的な気分にはなれず、そこそこ買い物は行きますが、都市部に近づくのは怖いなという感じ。

旅行もしたいですが、そんなのはもっての外ですかね。京都に行きたいのに。

昨年には普通に出来ていたことが出来ないもどかしさは、地方に引っ越してきた、という理由で感じるだろうと思っていたのに、まさか、流行り病のせいで、そんなことになろうとは、つゆほど考えていなかった。

一体、今年はどうなってしまったんだろうか。オリンピックイヤーの閏年で、私の厄年。厄年のウェイトが大きすぎやしないか?私と同じ生まれ年の女性たちの厄が世界中に降りかかってるのだとしたら、どんだけ業が深いんだ。

誰も悪くないし、誰も憎めないはずなのに、感染者をケガレみたいに扱ってるのも怖いし、不安を煽るような報道も腹立たしい。

自主的な自粛ばかりを求めて補償しない国や自治体にガッカリする。

生活として特に変化がなく、仕事もある自分はだいぶ恵まれている方だ。

自粛期間中は休業している人たちが、ただのお休みに見えて、羨ましくすら思っていたのに、今は、日常を続けられることが有難い。

おうち時間は特に増えてないのに、体重増加は著しく、ジム通いを始めた。

まだ1か月も経っていないし、新しく買った夏物のスカートはいつもより大きめのサイズを選んだはずなのに、未だにホックを留められないので、体重計には怖くて乗れていない。

とりあえず1か月ごとに体重ぐらいは測るつもり。運動での変化は3か月ぐらい経たないと出てこないことは経験で知っているので、大人しく健康診断まで粛々とジムに通おうと思っていたら、こっちの健康診断が今までより、1か月早いでやんの。

3か月あると思ってたのに2か月しかないなんて、嘘だろ?さすがに無理だよ。

昨年の体重は忘れたけど、それより太ったことは間違いないので、少しでも減らせるように頑張ります。

マスク必須だから、運動してる時はめちゃくちゃ息苦しいけど、ついでに肺活量も増えたらいいな。

ジムで汗だくになっても、車移動だから、着替えせずに家に帰ってお風呂に入れるのは助かる。ジムにもシャワーはあるけど、家の方が気兼ねせずに入れるしね。

今の家は、リビングとキッチンが一間になっているから、料理していても冷房が効いているので、汗だくにならないし、とても快適。

昨年まで、夏は汗だくになりながら、冬は凍えながら料理していて、リビングの扉を開けてくれない夫に恨み言をぶつけていたのが、嘘のよう。

環境を整えるっていうのは、大事なんだなって気が付いた。

昔のブログで、まだ1Kに住んでいた夫の部屋で洗い物をしていた時、寒いから暖房を付けているリビングとの扉を開けていたら、部屋の温度が下がる!と閉められたことを愚痴ると、「ぶしつけながら、その男はやめた方がいい。」というようなことをコメントしてくださった方がいたことを思い出した。

最初から、今のようにリビングとキッチンが一続きになっている部屋に住んでいたら、そんな喧嘩をすることはなかっただろうし、そんな愚痴を見かけた誰かに心配していただくこともなかった。

しかし、夫が私への気遣いよりも自分の暖を気にするような人だということを知ることもなかったし、誰もみてないと思ったブログは、ちゃんと全世界に向けて発信されているんだと気付くことができた。

夫との関係は、わりと相変わらずだけれど、環境が変わったせいか、夫が忙しすぎて顔を合わせる時間が短いせいか、あまり喧嘩していない気がする。

時々、一方的に怒られたり、こちらが腹を立てていることもあるが、そこまで深刻なことにはなっていない。

ここまで来たんだから、なにかよっぽど決定的なことが起きない限り、極端なことにはならないだろう。多分。

余談だが、この辺の方言なのか、何かの会話の際に、「よっぽど」という言葉をよく耳にする。「よっぽど大丈夫だと思うけど。」という感じで使うので、使用法について、違和感はないのだけれど、なんとなく、それほど強調したい場面でもないのに、使っている印象がある。

それはさておき、今さら地方に住むことに不安しかなかったけれど、今まで夫に頼りきりだった車の運転を住んでいる地域に限定してでも自分で出来るようになったことが、大いに自信に繋がっている気がする。

夫の車を自信を持って運転することは出来ないけれど、自分の車ならば、好きな時にある程度好きな場所に行けるというのは、新しい自由を手に入れた気分だ。

自分の用事のために、夫に頼まなくていいというのは、気が楽なのだ。

車のおかげで、距離を気にせずに、今までと同じ感覚で買い物に行けるのは助かる。

行く先はせいぜいイオンだけれど。

ああ、早く何も気にせずに旅行できるようになってほしい。

相変わらずお盆休みもなく、帰省も何もないけれど、昨年の今頃は、新居探しなどでこちらに来るのが旅行気分だったのが、もはや懐かしい。

新幹線の車内販売でビール買うのが楽しみだったのに。

 こっちの方が関西方面が近いから、また京都に行こうと思ってたのに。

本当に何をどうすれば収束するのかわからない。年明けぐらいまでオリンピックやる予定だったのも今となっては、嘘のよう。

 災厄に理由なんてないのかもしれないけれど、何かを恨みたいような気持にもなる。

 放送延期になっていた春ドラマがどんどん始まり、ようやく推しのドラマも始まって日常の有難さを感じている。

今、観ていて一番面白いのは『MIU404』だ。特に4話の話と演出の秀逸さに観ていて鳥肌が立って、涙が溢れた。主題歌の『感電』もドラマに合っていて、PVも巧みで何回も観てしまった。

『アンナチュラル』も好きだったけれど、死者と向き合うのはある意味、完結してるものを紐解いていくのだから、すっきり観れて当たり前だったのかもしれないと思った。

生きてる人を物語る方が、辛くて重くて、残酷だ。

推しもMIU404にゲストででも出演してくれていたらよかったのになぁ、と思いつつ、とにかく生きて仕事してくれてるだけで、何事にも代えがたく、本当にありがたいことだと、信じがたい突然の悲しいお知らせを聞いて、心から思った。

知らせを聞いたときは、どうして?しか浮かばなくて、信じられなくて、2~3日はニュースも見られなかった。

いつも聞いている全然関係ないだろうラジオに話題に出された時も耳を塞ぎたくなった。

推してた、と言えるほどではないけれど、間違いなく好きな俳優さんの一人だったし、これからも活躍してくれると信じて疑っていなかった。

今も、情報を集めたりはできないけれど、彼の功績と遺してくれた星の輝きのような出演作品があるかぎり、俳優としての彼は変わらず私の中で存在するんだなと思っている。

 テレビで推しの存在を確認する度、ドラマに感動する度、ラジオを聞いて声を上げて笑う度、エンタメという不要不急から真っ先に外されてしまいそうなことに、私は生かされているんだと考えずにいられない。

そこに従事するすべての人に感謝すると共に、形が変わっても工夫しながらエンタメを作り続けていることに敬意をもって楽しませていただきたい。