私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

夜は広がっている。

先に書いたものを書き終わらないうちに、また虚構と現実の狭間で迷子になってしまいそうになった。

同じ流れで追加して書こうかと思ったけれど、少し違う気がしたので、別に書くことにした。

no.meets.ltd

ラジオが好きだ。基本的には、深夜ラジオと呼ばれる時間帯のものを聞いている。

聞くのはだいたい昼間だ。リアルタイムだと主に寝ている時間だからだ。

ずっと昔はカセットに録音したこともある。少し前までは、違法になる行為の恩恵に預かっていた。今は、文明の利器の恩恵を受けつつ、金の力で解決している。

ラジオを聞けるアプリの開発及び運営の関係者の方々には、足を向けて眠れない。

主に聞いているラジオの圏外に引っ越すことになった時には絶望したけれど、エリアフリー機能を使うために金を払うことにしたら、絶望の淵から這い上がるどころか、1週間以内であれば、複数のラジオ局を通じて同じ番組を繰り返し聞くことが出来る技まで使えるようになり、ほぼ無敵になった。アーカイブは1週間だけと、1回の再生で24時間以内という縛りがあるので、無敵とは言えないが、それでも、とてもとても有難い。

最初は、好きなパーソナリティの番組を1組か2組聞いていただけだった。

今は、月曜から土曜まで毎日何かしらの番組を聞いていて、正直、時間が足りない。

世の中のヘビーリスナーと言われる方々は、複数の局のラジオ番組を毎日聞いてるらしいので、どういう生活をしているのか、ちょっと教えてほしい。

自分は主に通勤時間に聞いている。以前、電車通勤している時も同じように聞いていたけれど、たまに電車の中で吹き出しそうになって、その頃にはマスクもしていなかったので、何度か恥ずかしい思いをした。今は、車通勤で一人で車の中なので、朝から遠慮なく爆笑している。往復40分強では聞き終わらないので、ジムで運動する時も聞く。

平日は、よほどラジオに追われてる時しか家で聞かない。休日は一人で家事をしている時に聞く。洗い物と、翌週のお弁当のおかずのつくり置きで、長いときは3時間ぐらいかかるので、2番組聞き終わる時もある。

一応、ラジオリスナーであると言える私が非常に面白く興味深く多少抉られながらも観ずにいられなかったのが、上記の生配信舞台演劇ドラマである『あの夜を覚えてる』という作品だ。

生配信舞台演劇ドラマってなんだよって最初は思いました。ラジオドラマなのか、生配信の演劇なのか、どの辺がドラマなのか、よくわかんないなーって。でも、観たら納得の、生配信舞台演劇ドラマだったわけです。

私は主にオールナイトニッポンを聞いているので、ニッポン放送には、それなりの思い入れがあります。宣伝を聞くごとに興味が増し、チケットを買うに至った。

2日間の公演日程のうち、初日のチケットを買ったけれど、本番当日には予定を入れていた。

配信時間になっても、そのことに気づかず、リアルタイムで全部観ることは出来なかった。興味は持っていたものの、それほど深く追っていたわけではなかったので、当日になって色々な挑戦的なシステムに気が付いた。配信を観ながら、チャットが出来るし、メールも送れる。それは、ラジオを聞きながらTwitterに書き込んだり、メールを送れるのと同じように、リアルタイムでのリアクションを観ることが出来るのだ。

これまでも、配信を観ながらチャットでコメントを送れるのは知っていたけれど、それを観ながら舞台を観るのが、こんなに楽しいことは知らなかった。

アーカイブで観るときも、チャット画面を開き、コメントを追いながら見た。

ドラマの内容も面白く、予想以上の構成で、小ネタも満載で、すごく楽しかった。

お芝居も、ドラマというよりは舞台に近くて、より生感があった。

ところどころ、リスナーとして身につまされるような描写があったり、ラジオを作る現場のあるあるが見えたり、ラジオリスナーだからこそ、楽しめる場面があったのが、嬉しかった。

後から、裏話などをラジオで聞いたり、スタッフブログで読んだりして、裏側の大変さ、あの楽しさの後ろでこんなに技術的に大変で、挑戦的なことをしてくれていたんだと知り、スタッフの皆様にも賞賛の拍手を送りたいと思った。

エンディングで流れるスタッフロールの長さに、ちょっとびっくりしたけれど、裏側を知ると納得の人数でした。

初日の公演がめちゃくちゃ面白くて、これはリアルタイムで観た方が絶対に面白い、あと舞台というなら、千秋楽はきっと内容が違うはずだ、と思ったので、初日が終わってから、千秋楽のチケットも買い足しました。

今度はちゃんと家にいたので、開始時間から、最後まで観ることが出来ました。

2回目も、すごく面白かった。内容は、大きくは変わらないけれど、カメラワークが変わってたり、小道具が違ってたり、幕間の内容が違ったり、2回観てよかったと思える公演でした。舞台の面白さを画面を通して感じることが出来たのが、なんだか不思議。

舞台公演の配信とは、もう全然別物なのに、ちゃんと舞台なんだよな。

でも、ドラマとも違う。一発撮りの緊張感というか、長回しの臨場感とか、カットを重ねるドラマや映画では感じられないものがあったと思う。

虚構と現実の話で言えば、ラジオパーソナリティって、どこに位置しているんだろうって思うんです。

特に、私が聞いてるラジオでは、パーソナリティが本業ではない人がラジオをやっているわけで、仕事として話しているけれども、テレビなどで話している時とは違うように聞こえる。素に近い状態で話してくれているんだと思ってしまう。

でも、仕事である以上、完全に素ではないし、プライベートのことを何でも話してくれるわけではない、あくまでエンタメになるものを発信してくれている。

なのに、どうしても、パーソナリティが本音で話してくれてると思ってしまうのが、ラジオなんだと思う。

公演のネタバレになるけれど、話の前半で主人公の一人で、ラジオのリスナーでもあるADが、自分の担当且つ好きなパーソナリティに対して、「ラジオでは本当のことをしゃべってくれるはず!」と話すシーンがあり、私は共感性羞恥で抉られました。

なんだよ、本当のことって。ラジオだって、メディアだぞ。私達リスナーにはって、ただの聴者が何を言ってるんだ、と自分に言い聞かせるように羞恥を払いのけようとするぐらいには、考えることが出来るようになったと思いたい。

そのADが好きなパーソナリティである、もう一人の主人公は、ラジオで話すことを全部台本にしてもらい、台詞を覚えるように話すことを覚えて、一言一句違わずに、ラジオ番組で話している自分が嫌になり、本当のことを話せない自分が続けるべきではないと考えて、ラジオを去ります。

いやいやいや、ペライチで喋れるパーソナリティの方が希少だから!

拙くても、台本読んでても、メタ的に、これ台本ですよーって言ってもウケるのが、ラジオだから!

ヘビーリスナーなら、きっと同じこと思ったんじゃないかな。

パーソナリティが話してくれるなら、なんだって楽しいんですよ。

雑談が広がっていくのも、しっかりオチのある話してくれるのも、リスナーとのやり取りで展開していくのも、聞いていて楽しいんです。

話の後半は、ディレクターになった主人公が、辞めたパーソナリティを臨時パーソナリティとして迎え、今度は台本ではなく、自分だけの言葉を話し、リスナーからのメールに応えます。そのメールのいくつかが、本当にリアルタイムで送ってもらったメールを読んでいるんだと気が付いた時は、最高に痺れました。そのメールにすぐにコメントを返せる俳優さんの瞬発力がヤバい。

リスナーさんの言葉は、フィクションである架空のパーソナリティに当てたものではあるけれど、きっといつも聞いている実在するパーソナリティへの気持ちも籠っていたんだと思います。

リスナーさんがいて、初めてラジオになるんだって、一リスナーである私も実感することが出来た、最高の配信舞台演劇ドラマでした。

グッズも可愛くて、どれを買おうか迷ったけれど、ロゴの文字がすごく気に入ったので、帽子を買いました。それを普段使いできる程度にはヘビーリスナーだし、気にせずかぶれるぐらいの田舎に住んでて良かったとも思う。

ラジコの普及で、限られた時間の中だけにいた人達が、無限の時間の中に出てきた感じがする。深夜にラジオ聞いてるって、すごくパーソナルで、局地的なことだったはずなのに、今は、場所も時間も問わずに共有することが出来る。

同じ時間の共有という醍醐味を奪われているとも言えるけれど、私は物理的に行けなかった場所を、遠隔でも観ることが出来るようになったこをは、素直に喜びたい。

そういえば、公演の舞台は、実際に放送されてるフロアが使われていたわけだけれど、あんなに唐突にブースがあるとは知らなかった。もっと、カラオケボックスみたいな造りだと勝手に思ってた。すぐ側にデスクがあったり、編集室があったりするのを知ることが出来て、これからラジオを聞くと、ああ、あそこでやってるんだなと思えるのが楽しいです。