私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

それが天下の回り物らしいので。

久しぶりに一人の休日が出来たので、やっと推しの映画を観に行って来ました。

okuotoko-movie.jp

公開前から怒涛のプロモーション、主演ドラマの放送も重なり、久々に雑誌を買い漁り、録画しまくりました。もちろん、舞台挨拶的なものには、行けていません。

今回も、あまり内容を知らずに観たかったのですが、宣伝を見るとそういうわけにもいかず、なんとなく話の流れは知っていました。

推しの役どころは、主人公の親友で、今や富豪の九十九。余談ですが、九十九がファーストネームだということに、エンドロールで気づきました。誰も名字で呼んでなかったような・・・?予告では、学生時代と思われるメガネ男子姿とIT社長と思われるイケメン姿の両方が、だいぶ、好みのビジュアルだったので、結構楽しみにしていました。

話としては、借金苦でダブルワークに勤しみ、妻子とも別居状態の主人公が、宝くじで三億円を当て、それをどう使うべきか、富豪になった親友、九十九に相談しに行く。しかし、それを持ち逃げされてしまったので、九十九を知る人達に会いに行き、九十九探しを通して、お金とは何かを考えていく。という、感じなのですが、誰かがツイッタでクリスマスキャロルのような感じと言っていたのが、しっくり来ました。

お金ってなんだろう、というのは、少し前から考えていました。夫の使い込みに悩んでいて、カードの支払いに仇してしていると、口座の数字に悩んでいるのが、馬鹿みたいに思えてきます。ネットで買い物をするとき、私の財布から現金が消えることはなくて、数字だけがお金のやり取りを表している。お金とは、数値そのもののことでしょうか?

口座にお金を入れていても、自動引き落としされると足りなくなることが多く、どうしても支払わなければいけないものを残しておきたくて、予め下ろして、引き出しに現金をしまっておきました。数値を具現化した、紙幣そのものがなければ、お金として使えないこともあるのです。では、紙幣こそがお金の本質でしょうか?

これも余談ですが、映画の中で藤原竜也演じる千住という人間は、怪しげなセミナーで集まった人に、紙幣そのもには価値がない、これはただの紙だ!と煽って、紙幣を破り捨てさせます。しかし、あとから、捨てられた紙幣を拾って、自分のものとするのです。千住は、「人は紙を神にしているんだよ。」と言います。これを聞いたときに、頭の中でCreepyNutsの『紙様』

youtu.be

が流れたので、ぜひ聞いてもらいたいなと思います。歌っているのは、千住と真逆の立ち位置の人物ですけど。上手いこと言ってる感じの歌詞が好きです。言うてね。

お金というのは、数値の具現化であり、価値の数値化でもあります。お金を払うことで価値を発生させる。モノ化させるとも言えるでしょうか。お金で買えないものってなんでしょう。資本主義な世の中では、人も時間も買うことができる。労働の対価として給料というお金が支払われているのも、時間と労力の数値化とも言えると思います。

性風俗が商売として成り立つことに、ここ数年、疑問を持ち続け、答えを出せないでいます。今もわからない。けれど、お金を払う人がいるというのは、一つの簡単な答えなのかもしれないと思いました。

では、価値とは何か。何で価値が決まるのか。私は経済に明るくないので、詳しいことは分かりませんが、映画の中で、主人公は一つの答えを見つけたようで、私もなんとなく、それがわかるような気がしました。

映画としては、興味深い。に留まるぐらいの印象です。面白いけれど、言うほどエンターテイメントではない。

場面としては、主人公と九十九がモロッコ旅行した場面がとても美しかった。その時点で、九十九がお金や価値というものに関して、ものすごく、考えていたんだと思えるエピソードがたくさん含まれていて、重要なシーンだったし、どもりながら話すメガネの推しが超絶可愛かったです。

落語の『芝浜』が重要なファクターになっていたので、それを知ってるか知らないかで、感想が変わるのかなとも思いました。私はアニメの昭和元禄落語心中で聞いただけですが、聞いておいて良かったなと思ってます。山ちゃんの助六最高なんだ。だから、オチのセリフの扱いが勿体無いなぁと思ってしまった。落研の落語ってところでは、あれぐらいがちょうどいいのかもしれないけど。

ごちゃごちゃ言いましたが、もう1回ぐらい観ます。多分。