私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

虚構の現実。

製作が決まった頃から話題になってて、公開されると自分のTLが賞賛の嵐。感想やらネタバレやらが気になるけど、観ないとわかんないよな、と思って、観に行きました『シン・ゴジラ

以下、ネタバレしかしない。

ゴジラを観に行くのは、多分、『ゴジラ対メカキングギドラ』以来じゃないかな。なんとなく、記憶に残ってる。なんか、南の島で軍人が、ゴジラに助けられるのかなんだか、涙目で敬礼してるのを覚えてて、自分の中のゴジラはどちからかというと、憎らしいけど、なんか心が通じなくもない、でっかい生き物。っていう印象。

でも、『シン・ゴジラ』では、そんな愛らしさなんて、一切なかった。こんなにもリアルなゴジラだと思わなかった。まず、設定が細かいし、説得力がある。もともとゴジラ原子力に対する恐怖や弊害のような生き物であるけど、それを、小難しい言葉で如何にも生まれてもおかしくないような感覚にさせるのが、まず、すごい。

さらに、ゴジラを進化させるのも、新しいと思った。ミニラの存在を全否定することになるけれど、短時間で魚っぽい爬虫類から、陸上生物へと進化するのは、めちゃくちゃ気持ち悪かった。そう、シン・ゴジラは気持ち悪いのだ。ちっとも愛らしくない。エラの感じとか、初号機っぽい口とか、目とか、グロいというより怖い。第4形態に変態して、いつものゴジラのフォルムになった時は、むしろホッとした。ああ、これこれって思った。ただ、異様にデカイけど。

私が『シン・ゴジラ』にリアリティを感じられるのは、知っている地名や場所が沢山出てきたからだと思う。関東に住んでいるので、まずアクアラインは通ったことがあるし、川崎の風の島も見たことがある。蒲田辺りには住んでいたことがあるし、武蔵小杉にも住んでいたことがある。品川の方にも通っていたし、東京駅もよく知っている。稲村ヶ崎は知らないけれど、鎌倉は割りと近い。洋光台が出た時は、近すぎて嫌だと思った。見に行った映画館は、川崎にあるので武蔵小杉が出た時は、軽く歓声が上がっていた。住んでる人がいたんだろうね。

一方で、ゴジラと対峙する日本政府のあり方も、とてもリアリティがある。実際の政府がどんなものか、わからないけれども、政治家だけでなく、官僚や職員のセリフにリアリティを感じた。「会議を開かないと何も決められない。」というセリフは、割りとよく聞くものだけれど、「それが民主主義だから。」という諦めではない言葉は、現実を納得させるに十分なのではないかと思った。また、記者がどうして、東京の防衛に集中するのか、のようなセリフを言った時も同じこと思った。私は、東京に近いところで見ているけれど、他の地方の人たちは、これをどう見るんだろう、と少し気になった。

政府側に関しては、リアルに見せつつも、フィクションだよね、と思わざるを得ないほど、豪華出演者のオンパレード。出てくる人、だいたい、見たことある。こんな見た目重視の政府ないわ。こういう映画だと、首相や大臣の無能さを揶揄するような表現になりがちだけど、そんなことなかったし。

巨災対のメンバーもすごく豪華で、めっちゃあの中に入りたいと思った。片桐はいりポジションになりたかった。言い方アレだけど、めっちゃ萌える。同じように思っている方もたくさんいるらしく、そういう意味でも盛り上がってるな。後日読んだ、東宝の方のインタビューで、恋話とかはなしにしたというコメントがあって、ああ、そこは脳内補完、もしくは二次に期待ですね、と普通に思えた自分怖い。

石原さとみの役どころは、もっとも虚構だった。彼女がいるから、これは虚構だと気づける。そういう装置でもあったんじゃないかと邪推する。じゃなければ、あんな、ルー語しゃべるキャラにしないんじゃないのかな。

映画の中で、実際に戦っているのは、自衛隊と米軍だけれども、ヤシオリ作戦においては、その凝固剤の作製に一般企業の人も参加している。この映画は、働く人達も描いているのだ。プラントの配管を点検してる、メット被った作業員見た時、あ、うちの旦那があそこにいても、おかしくないな、と思った。働くってなんだろう、と考えさせられる。幕僚長が言う、「仕事ですから。」というセリフ。巨災対の本部が移った後に、仕事を始めようと言って、やるのは、書類作成と押印。私がいなくても、代わりはいるもの、と言う意味の蘭堂のセリフ。作戦中、何が起きても、目を逸らさずにいる蘭堂。働くって、なんだろう。どういうことだろう。仕事って、なんだろう、どこまでが仕事なんだろう。そんなことを考えてしまう。

現代っぽさのリアリティとして、ニコ動の流れるコメントとか、笑いながら避難とか、避難中に怒号とか、遠くから写メるとか、すごく示唆的だなと思った。最初の多摩川の場面とか、3.11を意識してるのかなと思ったし。3.11がなければ、ゴジラ放射能を結びつけただろうか。ヤシオリ作戦を実行するときに、防毒マスクや防塵服を着用させただろうか。そう意味では、やっぱり3.11後の映画なんだなと思わざるを得ない。

シン・ゴジラはリアルだからこそ、容赦がない。米軍の攻撃を受けて、レーザーを出した時、恐ろしくて仕方なかった。怖かった。映画をみて、恐怖で泣きそうになったのは、幼稚園以来だと思う。それぐらい怖かった。容赦なく壊されるビル、発生する爆発と火災、レーザーから発火するのは、どれぐらいリアルなのかわからないけれども、ナウシカ巨神兵や、ロボット兵のレーザー攻撃を髣髴とさせる描写だった。

作戦が成功し、ゴジラは凝固された。でも、その場にいる。東京にいる。まだ終わってないというのも、恐怖だ。ラストシーンで、映しだされた尻尾には、悲鳴が上がりそうだった。その時は、思いつかなかったけれど、後から思えば、尻尾もかなりの大きさだから、アレも、そうとう巨大なはず。さらに、ゴジラから派生するってことは、ゴジラと同じ能力、つまり、進化や、レーザー攻撃などが出来てもおかしくない。巨神兵じゃん。アレ、巨神兵なんじゃね?続編がどうのとか言ってるけど、もう、あるわ。『巨神兵、東京に現る』じゃん。そして、ナウシカに続くじゃん。

特撮というジャンルの娯楽映画であることに変わりはないけれど、私は、楽しい映画だよ、とは言い難い。怖い映画だったし、見たら元気に希望が持てるようなものでもないと思った。考えさせられる。自分ならどうする?と考えると、正直、絶望しか無い。ゴジラは虚構だけれども、現実に起こりうる災害や人災に対しても、私は同じように思うのかもしれない。

娯楽映画としては異例なぐらい、豪華俳優陣を使っているので、誰がどこに出ているのか見つけるのは楽しいかもしれない。私は、前田敦子は似てるなぐらいしか思わなかった。自衛隊橋本じゅんさんを見た時は、あれ?図書隊?と思ったし、斎藤工のドアップでは、割りと髪型で判別していたことに気づいた。

庵野監督作品として、エヴァっぽいところを探すのも楽しいだろう。とりあえず、ゴジラの初号機っぽさとか、バタバタしてるところのBGMなんてそのままだし、セリフの端々がエヴァっぽい「目標、完全に沈黙してます。」とか。最初に災害の原因が巨大生物だと気づいた時の会議で、蘭堂に「駆逐しますか。」とか言わせたのは、樋口監督がいたからかなとか、そういうのを求めるなら、何度観ても楽しめそうだ。関係ないけど、スクラップ・アンド・ビルドという言葉が出て、あ、羽田圭介さんの著作が売れるかも、と思った。内容も全然関係ないけど。

どんな映画かというのを説明するのは、難しい。自衛隊やアメリカとの関係を描かいていたりして、政治的な映画だという見方もあるらしい。私も、映画の中で自衛隊の会議室だか司令室だかに米軍関係者の席があることに、驚いた。知らなかった。

放射能を撒き散らすゴジラ、沈黙しているものの、そこにずっとあるという意味では、ゴジラ原子力発電所のようだとも取れる。風刺的で、示唆的な警告を発しているのだとも言える。

いやいや、これはあくまで特撮で、ただの娯楽映画だよ、エヴァの実写版だよという人もいるだろう。

そいういう、様々な意見を交わすことのできる映画であるというのは間違いない。私は一人で見に行ったけれども、誰かと一緒に言って、あれは、こうだよね、私はこう思った、と話したら楽しそうだと思った。結局、抑えきれなくてここに羅列している。

娯楽である日本の特撮映画の虚構が、現実の人の心を動かしている。それは、紛れもない事実であると思う。蘭堂のセリフが頭をよぎる。「この国は、まだまだ大丈夫たと思える。」