私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

あの頃の私たちに会いに行く。

一ヶ月以上前に、普段、あまりお話することない同僚の男性から、一枚のチラシと、チケットをもらった。

それは、新宿高島屋で行われる、『りぼん展』のチラシと招待券だった。

しかも、私が読んでいた時に連載していた作品を中心とした作品展だという。

どうして私がりぼんっ子だったことを知っているんだろうと偶然に驚きながら、ありがたくチケットを頂戴した。

その数日後に行われた飲み会で、同学年の同僚にその話をし、よければ一緒に行きましょう、と酒の勢いで声をかけた。

その同僚は、さらに同い年の他の同僚にも声をかけてくれ、同世代3人で、新宿へ繰り出すこととなった。

https://www.instagram.com/p/B0atmTVlqq-/

大きなりぼんの表紙が出迎えてくれたエントランスには、当時のりぼんとコミックスが並べられ、同僚と一緒にしゃがみ込みながら、これは覚えてるとか、この応募者全員サービスのやつ持ってた!などと盛り上がった。

奥へ進むと、作品ごとのカラーや、原画などが展示されていた。当時読んでいた作品を改めて見て、懐かしかったり、こんな感じだったっけ?と思ったり、今と昔を行ったり来たりしていたような気分でした。

途中の付録の展示でも、また、これは作った!とか、これ使ってた!などと言い合った。ノートや手紙などから、組み立ててつくる箱など、造り手側も大変なんだろうなと当時は思いもしなかったことを考えた。

さらに、作者さんにインタビューしている動画が流れていたり、現代のりぼんが読めたりと、本当に盛り沢山な展示でした。

見るだけで、1時間以上掛かったんじゃないでしょうか。

小学生の時は、お小遣いはりぼんを買うためにもらっていたようなもので、毎月の楽しみでした。

主人公はだいたい、中高生だったので、まだ見ぬ未来の青春時代に憧れを抱いていましたが、なってみれば、漫画の中の世界と、地方の一中高生では、何もかもが違い、ああ、あれはフィクションなんだなと現実を知ったりもしました。

今も少女漫画を読みますが、今は、こうだったら、良かったのになぁと思いながら読んでいます。私も同級生男子にときめく毎日を送るJKでいたい人生だった。割と夢は捨てきれていない。

余談ですが、同僚女子3人で休日まで遊ぶのは初めてで、とても楽しかったです。

一人とは付き合いが割と長くなっているので、何度か休日も付き合ってもらったことはありますが、女子だけは初めて。

その何度か遊んだ女子とも、休日に会うのは久しぶりにだったのですが、彼女も私もとくに今流行というわけでもない、ハンチング帽を被ってたのがなんだか面白かったです。彼女の方も、なかなかのりぼんっ子だったようで、とても話が盛り上がりました。

彼女は関東出身で私は地方出身という距離はありますが、子供の頃に似たようば文化に振れていると趣味も似てくるのかな、と思いました。

機会がなく、言えていなかった転勤の話もできたので、少しホッとしました。仕事柄、私の後任の方と私より先に会うこともあるかもしれないので、彼女にとって寝耳に水な自体にならなくて済みそうで、良かったです。

転勤族の父をもつ、私の夫や友達に聞くと、大手企業では辞令が出て1週間ほどで引っ越しということが普通らしいので、今回のように早めに教えてもらって、色々と時間を取ってもらえるのは、有り難いことなんだなと思えました。

自分にとっては、十分不測の事態で、全然時間が足りなくて、日々テンパってますけどね。

それでも、こんな風に遊ぶ時間を持てるのはとても嬉しかったです。転勤前に、もう一度女子会したいな~。

 

 

 

窓の外はゆっくりと幕を下ろして。

先日、代官山蔦屋書店で行われた、幡野広志さんの著書『ぼくたちが選べなかったことを選びなおすために。』の出版記念トークイベントに参加してきました。

会場となる代官山蔦屋書店に行くのは、たぶん、2度め。なんとなく場所は分かるものの、到着が開場ギリギリになりそうだったので、ナビアプリに従いながらの移動となった。

代官山蔦屋書店には、思ったよりも早く到着できたけれど、イベントスペースがわからず、しばしウロウロし、仕方ないので店員さんに声を掛けたら、目の前でした。

ちょうど開場時間だったらしく、どうぞ、と言われるままにスペースに入ると、最前列に陣取ってしまいました。なんか、すいません。普段は子どもたちが座って絵本を読むスペースなのか、周りは絵本の棚が並んでいました。懐かしいタイトルや、面白そうな表紙を眺めていると、開演のお時間。

拍手に迎えられて、幡野さんと、編集を務められた、古賀さんがご登場されました。

お二人とも、なんとなくリラックスされてる雰囲気でした。イベント自体は今回で3度めらしく、1度目のイベントはweb記事にもなるそうなので、これまでと違った話をしたい、ということで、古賀さんから幡野さんへの公開インタビュー形式で、お話が進められました。

メモを取ってたわけではないので、詳細に書くことは出来ませんが、とても興味深いお話ばかりでした。

幡野さんの文章や写真を通して感じていたことが、より深く納得できたような気持ちになりました。

以下、箇条書きで、気になったことメモ。時系列順でもありません。

・物撮りの方が得意。物に込められたメッセージを読み解き、それを写すのが得意。

・ライターさんは、書くことのプロだから、取材でライターさんが来ると安心できる。

・奇跡を信じてると口にだすのは、医療従事者が多い。

・病人が使う仮病は、お世話したい人に役割を与える為。

・病気になったら、感謝しなくちゃダメなのかな?

・元々仕事ばかりじゃなかったから、病気になっても変わらない。

・文章は得意じゃないと思ってる。

・読んだ文章や文体は影響を受けるもの?

・嘘はつけないし、つきたくない。

・迷っている時は、選択肢を多くもっていたい時。選択肢を減らすのが勇気。

 

あんまり出てこなくて、申し訳ない。お話を聞けば聞くほど、思ってた通りの方だった。

幡野さんの書かれる文章は、かっこつけてなくて、ありのままで、幡野さんだけの文章だと思います。自分は読んだ本の文体などにすぐに影響を受ける質なので、少し恥ずかしいぐらい。

何を見ても客観視しているという幡野さんは、たぶん、文章を読んでも、こんな風に書きたい、と思わないのだろう。

幡野さんの著書を読まれた方の感想で、「欲がなさそう。」と書かれているのを見かけました。それを見て、私は、無いのは、欲ではなく執着ではないかと思いました。

物事を客観視できる方は、たぶん、主体が自分であるということを、より強固に感じているのではないでしょうか。対象と向き合った時、それを外から捉えた時、どちらにしても、視点の始まりは自分なのです。

そして、それは、変えようのない、事実でもある。

執着しないんだろうなと思わせるのは、自分であること、自分以外にはなれないことを認めているように見えるからではないでしょうか。

私が思い浮かぶ執着しない人は、他人にも執着しない、あるいは期待しない人です。

 

他人に期待しない人は、他人に背負わせない。

背負わされないと思うと、人は近づきやすくなる。

幡野さんが、出会いに恵まれ、いろんな人に好かれている理由が、なんとなく、わかった気になりました。

文章に影響を受けない、という話を聞いて、そう言えば幡野さんからは、カルチャーの匂いがしないな、と気づきました。

私が無知なだけかもしれませんが、幡野さんのことを、何系の人、と言い表すのは難しい気がします。肩書や、役割は色々とお持ちでしょうが、そういうのではなく、カルチャーの系譜としてのカテゴリーが見えづらいということです。私の勝手な思い込みですが。

1時間ほどのトークはあっという間でした。自然体でお話されるので、こちらもリラックスして聞けました。

最期の質問コーナーでは、私が思っていたことを質問してくださった方がいて、なんだか嬉しかったです。

あと、病気になって、人生観が変わったか、という質問に対して、別に変わらない、ヒップホップの人みたいにあらゆるものに急に感謝したりしない、みたいなことをおっしゃってましたけど、ヒップホップは、身近なリアルを語るカルチャーなので、嘘をつけないという幡野さんとは相性良いと思いますよ。突き詰めると感謝しかなくなるっていうのも、人によってはリアルだってことですかね。

余談ですが、お二人が座られた場所の後ろがガラス張りで、まだ明るかった空が話が進むに連れ暗くなっていき、終わってから外に出たら満月が大きく光っていたのが、なんか、良かったです。

そうだ、京都も行っとこう。

三連休に休みが取れそうだということは、一週間ほど前から聞いていた。どうする?どこで過ごす?というLINEのやり取りを繰り返しながらも、決めきれず、私が夫の出張先に行き、さらに足を伸ばして京都へ遊びに行くと決めたのは、木曜のことだった。

しかし、その日も、詳細を決めるまでには至らず、夜は私が上司に飲みに誘われてしまったので、電話することもできず。

翌日に、二日酔いの気持ち悪さを抱えながらもなんとか出社し、いい加減、宿は取らねばならぬと、仕事の合間に宿を探し、夫に連絡し、とりあえず寝る所は確保した。

帰宅後、荷造りをした。詰めるのは、着替えとメイク道具ぐらいだ。国内旅行をするたびに、荷物が軽く少なくなっていく気がする。

三連休の初日。新幹線の切符は前日に買っていたので、昼頃に名古屋に着くように新幹線のホームへ向かった。ここで、失敗に気づく。指定席券を取っていなかったのだ。

一人だし、乗る時間を決めるのが嫌だったので、取らずにいたが、連休初日の新幹線は、もちろん満席。そもそも自由席の車両は3つしかない。しかも、乗り込んだのは途中駅からだったので、見送ることもできず。ひかりやこだまに乗れば、まだ良かったかもしれないが、のぞみに乗れば一駅で着くところを何度も停車する新幹線に乗る気にはなれなかった。結果、一駅とは言え、1時間半を自由席の通路に立って過ごすことになってしまった。乗り込む前に、朝ごはんとして買ったパンも、立ったまま食べることになった。出発早々足のむくみを感じながら、名古屋に到着。昼食には名古屋名物を食べようということになったので、さらに私鉄に乗り換えて、待ち合わせの駅へと向かった。駅前でレンタカーで来ていた夫と落ち合い、まずは昼食。名古屋名物のきしめんを食べました。熱田神宮の中にある休憩所で食べられる宮きしめんは、有名らしく、また昼時だったので、少し並びました。出汁のきいたきしめんはとても美味しかったです。

さて、ここからは車で夫の出張先の街へ移動します。名古屋からは車で1時間半ぐらいでしょうか。道中、夫にしては珍しく饒舌で、出張先でのことなどを延々喋りっぱなしでした。

出張先の街では、異動後のことを考えて、私が運転を変わり、街中や会社付近をウロウロしました。そのために、私が比較的運転しやすい軽を借りていてくれたのですが、街中を運転するのは1年以上ぶり。しかも、知らない街を走るのは初めてだったので、何度か夫に怒られ、ビクビクしながら運転していました。

一通り、街中を走ったあとは、練習を兼ねてドライブへ。ほぼ一車線の道を直進するだけだったので、1時間半ほど運転しました。

だんだん暗くなって来たので街へ戻り、ホテルに荷物を置いてから食事へ。

夕食は、夫の出張先の上司が、わざわざ予約してくれていました。と言っても、上司は同席せず、ただ席を予約してくれていて、後日精算するので、気にせず食べておいでということでした。ビックリした。そんなのあるんだ。会社で上司にごちそうになったことは多々ありますが、ツケで食べてこいと言われたのは、私も夫も初めてです。

遠慮を知らない若輩者なので、マジで何も考えずに色々ごちそうになってしまいました。とっても美味しかった。

翌日は、早めに起床し、軽くホテルの朝食を食べてから早々にチェックアウトし、一路京都へ。その前に、名古屋のホームにある立ち食いのきしめんを食べました。ここも出汁がしっかりしてて美味しかった。京都までも新幹線の自由席に乗りましたが、朝早かったのと、名古屋で降りる方も多く、座って行けました。

京都に到着すると、ロッカーに荷物を預けてすぐに宇治へと向かいました。

JR宇治駅の前にある、老舗のお茶屋、中村藤吉さんで抹茶スイーツを食べるためです。

以前、夫と京都に来た時も別の店舗で食べて、夫も気に入っていたのですが、ものすごく待ったので、今回は開店を狙って早めに行きました。

しかし、やはり考えることは皆同じようで、私達が着いた開店15分前頃にはすでに行列が出来ており、開店前に始まった受付では、27組目でした。ただ、本店は席が多いので、30分ほどの待ち時間ですみました。せっかくなので、薄茶付きの生茶ゼリーをシェアし、夫は冷やしぜんざい、私はパフェを食べました。どれも、抹茶の味が濃くて、香り高いのに苦味は少なくて、とても美味しかったです。ただ、どれも量が多く、なんだか抹茶だけでお腹いっぱいになってしまいました。

食後は平等院の参道を少し歩き、でも中には入らず、そのまま引き返して、今度は京阪の宇治駅へ。京阪電車は初めて乗りましたが、なんだか可愛らしい車両でした。途中で乗り換えると、また可愛らしいのに、妙に豪華な車両でした。目的地は祇園四条駅。地上に出てすぐの場所にある、松葉で昼食です。私は、にしん蕎麦、夫は夏限定の鱧素麺を食べました。にしん蕎麦は相変わらず美味しく、夫に少しわけてもらった素麺が家で食べるものとは別物のようで美味しくて驚きました。

食後は、祇園を散策し、そのまま新京極を歩き、山鉾を求めて歩き続けました。八坂神社の側にある夫の好きな雑貨屋で、夫好みのものを安く買えたのと、山鉾を探した先で偶然入ったお店でも夫好みの雑貨を買えたこと、そして有名な山鉾を間近で見られたことは、とても良かったです。ただ、歩きすぎました。

京都は何度か訪れていますが、わかりやすい碁盤目状の道と、数えやすい通りのせいか、距離感を間違えやすく、バスに乗ればいい距離を、つい、歩いてしまうのです。

その結果、夫はどんどん不機嫌に。足が痛いと訴えるので、近場のマッサージ店を探したのですが、見つからず、また余計に歩く羽目になったり。さらに、雨も降ってきて、踏んだり蹴ったり。本当は、龍安寺にも行きたかったのですが、その時いた場所からは、開門中に間に合いそうになかったので、断念。先斗町あたりも散策したかったのですが、それも断念。不機嫌な夫を連れてバスで京都駅まで引き返し、そこでもマッサージを求めてウロウロしましたが、さすがに即時というわけに行かず。

夫の不機嫌がピークになった辺りで、とりあえず座れる場所を求めて、HUBに入りました。HUBで一服し、少し小腹を満たしたことで、夫の機嫌が回復してきたので、ホテルへ行くことに。送迎付きのホテルにしたので、駅からホテルまでは歩かずにすみました。また、泊まった部屋は別館でとても新しく、前日に泊まった部屋の倍ぐらいの、とても広々した部屋だったので、気分的にもゆったりできました。

少し休憩してから、再び送迎バスを利用して、駅へ引き返し、夕飯。駅の地下街のだし茶漬けのお店でお茶漬けを食べました。食後は、駅の551でおやつの豚まんを購入して、ホテルへと戻りました。

3日目の朝、夜中に目が覚めた時は、身体中が痛くて、どうしようかと思いましたが、朝には少しマシになっていました。この日は、朝から昨日行けなかった場所に行く予定だったので、ゆっくり朝ごはんを食べる時間はなく、駅で買ったパンをバスを待つ間に食べました。京都ぽさを求めて買った抹茶味のクロワッサンが美味しかったです。

前日に行けなかった龍安寺の石庭は、連休の最終日だからか、比較的早い時間だったからか、人が少なく、とてもゆっくりと眺めることが出来ました。

回遊庭園も素晴らしく、紅葉が青々としていたので、ぜひ、秋にも来てみたいと思いました。

またバスに揺られ、今度は三条へ。バスを降りたあと、道を間違えて無駄に夫を歩かせてしまいましたが、痛手にならないぐらいで気づけて良かったです。

三条大橋の手前辺りのスタバのテラスに行ってみたかったのですが、この日はテラスが開いておらず。店内から橋を眺めてのコーヒータイムとなりました。途中、お手洗いに地下へ降りたら、そこにも席があり、そこは窓に向かってソファが並んでる席だったので、夫に声を掛けて移動し、しばらく橋脚を見ながらコーヒーを飲んでました。

ここから、祇園に移動するのに、電車に乗ろうと思ってたのですが、夫が頑張って歩くと行ってくれたので、まだ明るい先斗町を歩きました。祇園の花見小路とはまた違った風情で、ぜひ、夜に再訪したいと思いました。途中、お稽古に行くのか、浴衣姿の舞妓さんらしき方をすれ違い、勝手に昼の京都ぽさを感じさせてもらいました。

祇園付近に戻ってきたので、またも、松葉で昼食。夫婦そろっての好物なのです。

今度は、夫がにしん蕎麦。私は、冷やしおろしにしんそばを頂きました。冷やしの方が、にしんの味が濃く感じられた気がします。

お腹が満たされたところで、バスで京都駅に戻り、お土産を買って、新幹線に乗り込みました。諸事情の為、私も一度名古屋で降車し、名古屋土産を買ってから、夫に見送られて、今度こそ東京行きの新幹線に乗りました。帰りも指定席は尽く満席だったので、諦めて自由席へ。しかし、1本見送って列の前の方へいられたのが幸いして、席を確保することが出来ました。

帰りは1時間半、ゆっくりと座り、買っておいたビールを飲み、車内販売でアイスを買い、存分に満喫しました。

そんな感じで、突発的に決めた旅行でしたが、概ね楽しめたと思います。祇園祭中の連休に直前で宿が取れただけでも良かった。

京都を歩き過ぎたのは、自分でも反省すべき点ですね。自分も辛かった。何度も訪れているので、知った気になってしまうのは、よくないな。自分の頭の中にある、京都のガイドブックは、10年以上前のものなので、いい加減、アップロードしないと。

道中喧嘩はしましたが、泣いたり、酷い言い争いにならなかったのは、一緒にいられる時間が限られていると、お互いに分かっていたからだと思います。

同じ家に帰る状態で、こんな旅行は御免被る。夫も、何度も不機嫌になりながらも、何度も、怒ったことや、不機嫌になったことを謝ってくれたので、夫なりに気遣ってくれているんだろうな、と思いました。

 

高らかに言うほどに難しいことを。

読書感想文と言えるようなものではないけれど、読んだ感想は書いておいた方が良さそうなので、散文になるに違いないけれど、書いておこう。

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。

ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。

 

 正直、発売を知った時は、内容にそれほど興味はなかったけれど、トークショーイベントをされるというので、それに参加するために購入した。

丁寧に梱包されている割に背表紙にうっすらと汚れが付いていて、ちょっとイラッとしたけれど、手が汚れてるのも気に出来ないぐらい忙しい人が梱包してくれたのかな、と考えた。

読み始めた時は、たくさんの章に分かれているし、キリのいいところで止めて、何日かに分けてよむことになるだろうと思っていた。けれど、なんだか読むことを止められず、結局、最後まで一気に読み終わってしまった。

 

幡野さんのことは、Twitterで知った。多分、ほぼ日をフォローしてるので、リツイートされたものを見たのだと思う。幡野さんの息子さんの可愛らしい写真だった。

可愛い子供の写真は好きだ。ダカフェ日記の森さんみたいな写真家さんなのかな、と思ったら、全然違った。いや、森さんのことはよく知らないから、イメージ上でのことでしかないけれど、幡野さんは重かった。

何しろガン患者なのだ。余命宣告も受けている。ガンにも色々あるけれど、幡野さんのガンは、今の所、完治する方法はないらしい。

昨年、写真展を開催されていたので、観に行った。息子さんの写真展だった。生まれた時から、最近までの写真だった。可愛かった。泣けてくるぐらい可愛かった。

その時の涙は、間違いなく同情の涙だった。この人は、こんなに可愛い子供を置いて逝かなければいけないのか。なんと無念なことだろう。

 

在廊されていた幡野さんに話しかけ、サインを頂いた。歳は自分と一つしか違わない、夫と同い年なのに、とても年上に思えた。初対面のただの客にニコニコと対応してくれた。同情の言葉はとても口に出来なかった。「可愛い息子さんですね。」と言うと、「そうなんですよ。」とニコニコ返された。

笑顔の胸の内なんて、私が知る由もない。

私が幡野さんを知ったのは、ほぼ日経由だったけれど、この本は、幡野さんがほぼ日と繋がる前から、準備されていたと知って驚いた。話題の人になったから、書くんじゃない。書きたくて、書かれた本だった。

そのことに関しては、読んでとても納得した。

日記というような個人的なものでなく、出版し、発売され、外に向けて出されたからこそ、残せる本なのだと思った。

幡野さんはご家族に向けても書いたとおっしゃっているが、例えば、死後見つかる手紙のようなものとは、全然違う。

これは、家族に内情を語る本ではなく、世間に向けた宣言なのだ。

「自分は、こう生きる。こう死ぬ。こう家族を守る。こう家族に残す。邪魔するな。」

そういう宣言なのだ。

そう考えれば、とても個人的なものだと思うし、時折感じる違和感は、他者の主観を聞いた時に感じる自分との違いでしかないのだと気づいた。

これは、社会学者の学術書じゃないし、ガン患者の闘病日記でもない。

個人的な動機で取材し、考察し、行き着いた、個人的な目的を達成するための手段としての宣言を記した本である。

 

ここで言う『家族』とは、幡野さんにとっては、妻と子供だ。NASAが定義するところの、『直系家族』。

家族の最小単位は夫婦だ。赤の他人同士だ。そこに両方と血の繋がった子供が誕生し、成長して、また新たな家族を作る。(もちろん例外はある。)

夫と結婚した時、夫は、私が夫の家の戸籍に入るものだと思っていたと知り驚いていたことを思い出した。

婚姻関係を結ぶことを入籍とも言うが、正しくは作籍じゃないだろうか、と有名漫画家も言っていた。

子供をやめて、夫や妻として新たに家族を作る。それが現代の結婚だ。

子供であることは、止められる。戸籍上は。

戸籍上だけでなく、事実上、子供を止めたっていいんだよ、と幡野さんは言う。

もちろん、その必要があれば。

現代社会において、結婚を強要されることは、ほぼないと考えた時、結婚相手は、選べる。親は選べない。でも、配偶者は選べる。

私自身は、選んだ配偶者に悩まされることも多く、選べるのはいいけど、選ぶのは難しいことだよ、とも思う。

 

幡野さんの文章は、スッキリとしていて、あっけらかんとしているように見える。ガンでも、近々死ぬと分かってても、それを受けいれ、そのうえで、やりたいことをやっているように見える。

まして、その事実をブログで発表していると、ほとんど悟りを開いた人のように思える。

こんなタイトルのブログをやっている私が言えることではないけれど、多くの人は、話したいのだと思う。自分のことを知ってほしい。できれば肯定してほしい、好きになってほしい。

受け入れてくれそうに見えるのは、だいたい聖職者だ。悟りを開いた人は、聖職者のように見えて当然だ。

幡野さんのところに届く膨大なメッセージの中で、話をしたいと思うのは、やっぱり共有できるものがある人なんだと思う。

自分がガンになった人、親をガンで亡くした人、親に暴力をふるわれた人。

幡野さんも文中で、特例だと言っていたけれど、正直、共感できるところは少ない。私にとっては、まさに特殊な事例にしか思えない。

ただ、そういう人もいる、ということを知ることが大事なんだろうと思った。

 

人の想像力には限界がある。想像は、やはり経験に基づくところが大きい。

夫と喧嘩する時、上司の自慢話を聞く時、「うるせぇ、主語が自分の話を一般論のように言うんじゃねぇ。てめぇが世界の中心のつもりか。」と思うことが多々ある。

立ち位置は自分一人分だし、目線は自分以外になれないから、自分にとってはそこが世界の中心であることは全て否定はできないけれど、隣に人が立った時、その人にとっての中心は私にとっての隣であることを忘れてはいけないと思う。

普遍の真理なんて、そう簡単には見つからないし、決まらない。それでも、個人としての生きやすさを求めて、模索するのは間違いじゃないはずだ。

人は死ぬ。必ず。全ての人が死ぬ。それは、数少ない普遍の真理の一つだ。変えようがない。今も昔も変わらない。

多くの人が、自分が死ぬ時のことを想像したことがあるだろう。

事故で、災害で、病気で、老いて、自らの手で、死ぬことがあるかもしれない、いや、いつか必ず死ぬのは避けようもない。

でも、どうやって死ぬかは、決められないのも当然だ。だって、いつ、その瞬間が訪れるかわからないのだから。

それなのに、どんな最期を迎えるにしても、なぜかどこかで、安らかに死ねると思ってないだろうか。事故で即死し、災害で即死し、病気で息を引取り、老いて眠るように、自殺でさえ、死にまでの苦しみの時間をちゃんとカウントして想像している人が、どれぐらいいるだろう。

苦しみの時間があることをよく知っている人が、苦しみたくないと言うことの、何が悪いんだろう。

息をすることと、生きることは、必ずしも同義じゃないかもしれない。

 

本の中で、幡野さんは、幸せだと言う。死ぬのがわかっていても、幸せ。

幸せは、武器になる。つけ入り、入り込み、奪おうとする人達と戦う武器。

それは、強大な武器だ。

幡野さんは、笑う。写真を撮り、SNSにあげる、相談に乗り、文章を書き、それをネットにあげたりする。それらは、幡野さんの一部だ。

私は推しが出来てから、表に立つひとのことを考えるようになった。表舞台に行かない私は、裏を見たがる。本音を知りたがる。本当はそんなこと、思ってないんでしょう、と、表で言っていないことを言わせようとする。

でも、表に行かない以上、私はその人そのものを知ることはできない。

たとえ、隣にいたとしても、全てを知ることはできない。それが当たり前だ。それでいいのだ。

表にいる人が、見せようと思って見せてくれることが、私にとって、その人の全てだ。

私は幡野さんが見せてくれることしか知らない。それでいいのだ。

トークショーは、再来週。どんな話を聞けるのか、とても楽しみ。

 

必要な装置と距離感があるらしい。

夫が出張に出かけて、一週間も経たないうちに一時帰宅してきました。

今回の出張は、今までにないぐらいのバタバタした出発になってしまっていたので、心残りがいくつかあったのと、仕事柄先の予定を立てづらく、次にいつ連休をもらえるのかわからないこともあり、さっそくの一次帰宅となりました。

金曜の昼間には、土日が休みになったことと、特に予定がないことを連絡してきていたのですが、帰ってくることをキチンと決めないまま、その日は終わってしまいました。

土曜日の朝、夫から、どうする?と連絡が来ていたので、帰って来られるなら、来てほしい、と私から言い、夕方からディズニーに行くことにしました。

夫は新幹線、私は在来線で東京駅まで行き、そこで落ち合い、そのまま電車でディズニーに行きました。

朝に決めて、昼前には新幹線に乗れる、夫の身軽さが助かります。

朝からあまり天気がよくなくて、雨が降ったり止んだりしていたので、そんなに混んでいないかな、と思いきや、なんだか人が多い印象で、いつもは、そんなに並んでないようなフードワゴンでも結構な待ち時間が発生していました。

結局、乗り物にはほとんど乗らず、食べてばかりいた気がします。

それでも、雰囲気は楽しいし、長い待ち時間でも夫と喧嘩することなく過ごせて良かったです。

夫にしては珍しく、何箇所かで写真を撮りました。来月から始まる新アトラクションは、もう出来上がってるようでしたが、これに乗られるのはいつになることだろう、と思うと、寂しくなりました。

帰りは途中まで高速バスを使ったので、ほとんど座って帰って来られたので、とても楽でした。

翌日は、朝から夫が、家のネット環境の修復をしてくれていて、電話で問い合わせたり、書類を調べたりしつつ、昼前にはネットが使えるようにしてくれました。

家でPCはほとんど見ないのですが、スマホを見る時にWi-Fiを使っていたので、修復してもらえて助かりました。

午後からは、夫が出張先で使うものを買い物をしてから、昼、というには遅かったけれど、夫の好きなうどんを食べに行きました。

帰りは、新幹線ではなく、飛行機に乗るというので、そのまま空港まで見送りに行きました。夫の趣味で航空会社系のカードを利用していたので、無駄にマイルが溜まっていたのですが、うまく活用できずに失効していくばかりだったので、地方空港への片道分ぐらいは、使ってもらって、むしろ良かったです。金額的にも割引が効いて、新幹線と変わらないようでしたし。

空港で見送るときはいつも国際線ターミナルだったので、国内線のターミナルをウロウロするのは、変な感じでした。国内線に来るときは、ただ遊びに来るだけの時が多く、ここから一人で帰ることは、ほとんどありませんでしたので。

搭乗ゲートの手前で別れると、今度こそ、お別れだという気分が盛り上がりました。

こんなに早く帰って来るとは思っていなかったけれど、先週の月曜に別れた時のほうが、ずっとあっさりと別れられた気がする。空港という場所がドラマチックな気分にさせてくれるようです。

帰りは高速バスで自宅最寄り駅まで直接帰りました。

なんだかむしゃくしゃしたので、好きなビールやらお菓子やらを買って帰り、テレビを見つつ、泣きながらバリバリ食べました。

ちょうど大河の一部が終わるところで、ドラマで泣いてるのか、寂しくて泣いてるのか、よくわからなくなりました。

夫は、ずっと優しくて、いつもは嫌がるような行列にもほとんどイライラせず、私がルーターを壊しても怒ったりせず、私が腹痛を起こすと気遣って、薬を渡してくれました。

私達は、遠距離のほうがうまく行くんじゃないかと、時々思います。

目の前にあるものには、安心してしまい、大事にできない。そういう関係なのかもしれません。

どちらにしても、期限のある出張なので、一人での時間は、2ヶ月もありません。

今のうちに、一人でしか出来ないことをしておこうと思います。

熱源を感じるままに。

先日の地震で、実家の方が結構震度大きかったようで、心配して電話したのに、全然被害なかったらしく、軽くあしらわれました。そんなもんか。薄情なのは血筋かしらん。

そもそも心配してっていうか、地震があった時間は、ちょうど風呂に入っていて、テレビも消していたので、地震警報も速報も見てなかったんですけど、あがってからスマホ確認したら、夫からLINEと着信が何件もあって、何事かと思ったら、私の実家の方で地震あったけど、大丈夫?みたいな内容で、慌てて実母に電話したんですけどね。

夫からのLINEがなければ、そのまま朝まで気づかなかったと思います。

夫が知らせてくれてよかったわ。

さて、夫が出張に出かけて、なんだか自由の身になった気分なので、映画観てきました。会社帰りに気軽に映画を見に行ける生活が出来るのも、あと少しかもしれないしね。

観てきたのは、『プロメア』。話題になってるのは、知ってましたけど、観に行くほどじゃないかな、と思ってたんですが、他に観たいのもないし、そろそろ上映期間終わりそうだしってことで、観てきました。

もう、レイトショーしかやってなくて、スクリーンも、もう狭いところなのに、昼間にチケット取った時点で、結構埋まっててビックリしました。

実際、上映時間に席についたら、どんどん人が入ってきて、多分、満席だったんじゃないかなぁ?

公開から結構経ってるのに、すごい人気だわ。なんて、思ってたら、始まってすぐに納得。めちゃくちゃ面白い。

やっぱり、中島かずきさんはスゴイ。圧倒的な世界観、緻密なようで有無を言わさない設定、もんどり打つようなどんでん返しに次ぐ、どんでん返し、魅力的なキャラクター、センスしかない色づかい、BGMにとどまらない音楽。

スピード感のある演出も、飽きが来ない展開も、すごくワクワクしたし、中島脚本らしい非情な展開もあって、まんまと涙ぐんでしまったし、観終わったあとに、スタンディングオベーションしたいぐらいだった。

実際、発声可能な、応炎上映もやってるらしくて、そりゃ、需要あるわって感じでした。

脚本の面白さはもちろんなんだけど、その世界観を壊すことなく、忠実、いや、それ以上に表現してみせてくれた、監督ならびに製作スタッフさん達も、スゴすぎる。

アクションシーンの流れるよな動きとか、目が廻りそうだったけど、すごくドキドキした。

ツイッタのTLに流れてきてた、謎ワード、滅殺開墾ビームがなんなのかもわかったし、俳優さんが声優やってて、違和感がないどころか、生身以上の演技を見せてもらえた感じなのに、やっぱりきちんとアニメらしい雰囲気というか、お約束っぽいところもあって、全方位囲まれて、好きとしか言えない作品だった。本当に観に行ってよかった。

余談ですが、ほぼ満席だったのに、お客さんのマナーが最高で、変にザワザワしないし、暗転のシーンも皆黙ってるし、終わったあとも、電車の関係なのか、エンドロールの途中で席を立つ方はいたけど、とても静かにササッと出ていかれる方ばっかりだったし、エンドロール終わって、皆が席を立つ時も、全然騒々しくなくて、とても気持ちのいい空間でした。レイトショーだし、一人客が多かったってのは、大いに関係あるかもだけど。

もう1回ぐらい観たいけど、見るだけでけっこうエネルギー使うからなぁ。

来月は、新海誠監督の新作観る予定。