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私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

赤べこになる時。

旦那の居ない隙にと、色々予定を詰め込むのに必死になっている私です。旦那から言われてる作業は何も手を付けていません。

会社帰りに、イベントに参加、なんてのも、旦那がいるとなかなか出来ないわけで。

ツイッターのTLに流れてきたイベント情報に一も二もなく飛びついて、参加申し込みメールを送り、運良く、当選できました。

会場のカフェは表参道にあり、普段、会社に行くようなメイクでは、とても近づけない。服も、持ってる中でも良さそうなものを選び。白パンツを履いたら、朝からコーヒーを跳ねさせるなどアクシデンツもあったものの、昼休みにアイメイクを施し、なんとか多摩川を超えるメンタルを整えることが出来た。

さて、私は、表参道に行くまでに、いくつの甲冑を身につけたのでしょうか。

 今回のトークショーは、ジェーン・スーさんの新刊イベントでした。

女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。

女の甲冑、着たり脱いだり毎日が戦なり。

 

 なので、話の内容も、女の甲冑について。

ゲストのしまおまほさんが、自らフリップのようにスケッチブックにトークテーマを書いてきてくださっていて、普段、ラジオで活躍されてる方々らしく、とても軽妙なトークが止まらない。何度も吹き出して、笑ってるうちに、あっという間に90分が過ぎてしまいました。

 

『甲冑とはなにか?』しまおまほさんのスケッチブックより)

トークの中で、スーさんは、甲冑について、「出かけるときに、身につけなければならない、何かしらのもの。」という言い方をされました。でも、もともとは、甲冑ではなく、「踏み絵」という言葉を使っていたらしい。トークを聞いて、私はどちらかというと、「踏み絵」という方が、しっくり来るような気がしました。

「踏み絵」。これ、踏むの?踏まないの?という選択を、いつも迫られている。

 

『最初の甲冑』

トークショーの中で、「最初の甲冑」の話が出ました。お客さんは、私含めて、ジェーンさんやしまおさんと同世代の方が多く、当時流行ったものの名前が出る度に、「あ~。」とか、「はいはい。」みたいな空気が流れるのが面白かった。

私の甲冑というか、象徴的な最初の踏み絵は、話題にものぼった、「ルーズソックス」。私の世代は、もう、ほとんど、制服の一部になっていて、高校生の頃は、履くのが普通。履かないのは、何かポリシーを持って、履かないようにしていると思われるようなものになっていました。

しれっと履いとけば良かったんだよな、と今なら思う。でも、踏めなかった。忘れもしない、高1の冬。母に、「ルーズ欲しいな。」と言ったのに、「ブーツ?そうね、買わないとね。」と聞き間違えられて以来、二度と欲しいと口に出来なかった。因みに、その時、買ってもらったブーツは、当時のアムラーをほんのり匂わせる厚底ブーツで、その辺の自分の中途半端さも相まって、余計にルーズから遠のくのであった・・・。紺のハイソ派だったけれど、ラルフ・ローレンのものを買ってとは言えなかった。通学バックは、イースト・ボーイだったけど、あのバックじゃなくて、リュックだった。今思っても、踏み絵の前でステップ踏んでるのが丸わかりで愚かしい。

踏む踏まないのか、決めるのは自分のはずなのに、踏まないの?踏んだほうがいいんじゃない?え?それ踏んじゃうの?と、私の中の外野が煩い。

 

『甲冑NOW』

ファッションとかステータスとか、学生の頃だけの話だと思ったら、とんでもない。ずっと続くし、ファッションどころの話ではなくなるのが、恐ろしい、とスーさんは言いました。

既婚子持ちである、しまおまほさんは、ママ界に広がる甲冑、散りばめられた踏み絵の怖さは、子供の命を盾にとってくるところにあると、おっしゃっていました。

ファッションは、消費活動でもある。流行り廃りがあるのは、そのためだ。何が身体にいいとか、コレを着るとモテるとか、これを使うと赤ちゃんの安全が確実になるとか、あの手この手で消費を促してくる。資本主義経済だから。買ってもらわないと経済回らないから。だから、仕方ない。仕方ないのはわかる。

でも、それと、昨年流行った差し色カーディガンを今、着れないのは、経済が理由かと言われると、それは違うと思う。

ごめんなさい、他にも、いくつかトークテーマはあったのですが、話を聞くのに夢中で、はっきりと覚えてません。ぼんやり生きててすいません。ネットで対話が公開されるそうなので、公開されたら復習します。

印象に残ってることを、箇条書きに。

渡辺満里奈は甲冑を脱いだ。

キョンキョン夏木マリは、もはや甲殻類。

・私はYOUになりたい(しまおまほさん談)

 

トークショーに対する雑感としては、スーさんはMC体質というか、結構、聞き役に回っちゃう方なんだな、という感じ。対して、しまおまほさんは、話したいことがあふれてて、文化人家庭、世田谷育ち、アーティストの旦那、息子という、完全に持つ者側なのに、こじらせてる感じがすごいなと思いました。ごめんなさい、妬み入ってます。しまおさんも、ルーズを履かない側で、でも、そこでハイソに行くとかじゃなくて、下駄に振り切っちゃうところが、ああ、違うな、と。やっぱ、美大行く人とか何か、違うよね、とか思わせられました。ええ、僻んでます。結局は、王道を行けないっていうところでの、葛藤とか、でも、迎合したくない矛盾とか、そういうのは、どんな人にもあるんだな、と思いましたけど。でも、って続けちゃいたくなるところは、要するに、ステータスとしての甲冑が自分も欲しくて、羨ましいんだなってことですかね。自分の卑屈さがよく分かりましたわ。だから、踏めなかったものも、多いんだろうな。

ファッションの流行り廃りは経済活動に直結してるというところで、子供の頃のファッションって、環境に寄るものが大きいな、と思いました。家庭の収入だけの話じゃなくて、結局、欲しいと思ったものが売ってる店が近くにあるか、とか、買いに行くだけの金があるか、とか、その金はどこから出るのか、親の財布か、自分の小遣いか、アルバイト代か、そういうところでも、格差というか、違いが必ず発生するわけですよね。そういう、自意識とは違うところで、踏めるか踏めないかというのが決まるのは、結構、残酷なことなんじゃないかと・・・。そう思うのは、私がワープア寄りで、未だにファストファッションやら、ハイティーン向けの店で服買ってるからですかね。私だって、大人になれば、伊勢丹とかで服を好きに買えると思ってましたよ。鞄とか靴とか、ハイブランドのものを持つんだと思ってましたよ。

でもね、買えないんです。正直、不思議です。なんで、みんな、そんな高い服買えるの?って。はっきりと、収入だけの問題じゃなくて、割合の話だってのも薄々分かってますけど、ファッションに金を掛けるようになるかどうかってのも、それまでの環境に寄るところが多いのではないかな、と。

経済活動の中心で、あらゆる流行の発信地である東京に生まれ育った方と、田舎で、なにもかも、数ヶ月遅れで届くし、全国区のTVや雑誌で紹介されても、東京に住んでたら行くんだけどね、と思いつつ、地元のショッピングセンターに似たようなものが出来るのを待つ方と、隔たりがあるのは、当然で、東京に生まれたからこその苦悩とかがあるのは、わかっちゃいるけど、地方出身者からすると、羨ましい。

今は、東京のど真ん中では無いけれど、関東の片隅にいて、テレビで紹介されたお店に、週末、多少の時間を掛ければ出かけて行けるというのは、とても楽しいです。

物価高い、家賃高い、通勤ラッシュクソ喰らえな生活で、都会の何がいいかって、そういうミーハーな望みを多少なりとも叶えられるところだな、と思います。

親の脛に喰らいついてでも、上京する、という甲冑を手にしたのは、私にとっては、正解だったなと思います。

 

この本は、『女の甲冑、』というタイトルではありますが、甲冑来ているのは、女だけでは無いですよね。最後のほうで、生まれ変わったら、男性と女性、どちらになりたいかという質問があり、しまおさんは、男性の方が楽そう、という理由で男性を上げておられました。スーさんも、楽ではないと思うとおっしゃっていましたが、私も、男性の方が、楽、というのには、賛同しかねます。

楽そうに見えるのは、男性優位社会であるからでしょう。化粧もしないし、服装も、それほど気にしなくていいし、家事も子育ても、主体になってやらなくていいし、女性より楽そうに見えるのは、わかります。

でもねぇ、会社にいると、男じゃなくて良かったなって、思っちゃいます。バリキャリの人に喧嘩売ってるわけじゃないですけど、自分は、そこまで仕事頑張りたいタイプじゃないので、わりと気楽に事務員やらせてもらってます。でも、男だったら、こんな仕事してたら、完全に、会社のお荷物扱い、事務所内の鼻つまみ者になること必至。男性同士のほうが、よっぽど同調圧力が強いと思います。もちろん、職種や働き方によって違いがあるのは、わかりますが、大多数のサラリーマンは、そうじゃないでしょうか。確かに、メイクはしなくていい。でも、清潔感は必要。服装は気にしなくていい、でも、スーツはそれなりのものを着なくちゃ。ネクタイもちゃんと気にして。家事や子育ては主体的にやらなくていいけど、そういうことを任せられる奥さんを見つけなくちゃいけないし、家庭を支えるために、稼がなくちゃいけない。私と同世代の方なら、共働き夫婦も多いだろうし、家事を一切やらないというのも難しそう。

男性同士の同調圧力とマウンティング、モラハラ、セクハラって、同性だからこそ、びっくりするぐらい遠慮ない時がありますよね。結婚しないのか、とか、彼女作れとか、もっと遊べとか、子供作れとか、家建てろ、もっといい車買え、いい時計しろとか、「俺がお前らの年齢の頃には、もう、〇〇だったけどな。」っていう台詞を何度聞いたことか。おっと、具体例を出してしまいましたね。すみません、個人的な話をしてしまいました。この方が、男性社会代表というわけではないけれど、まぁ、よくいるタイプだよねってことで。

男性同士のほうが、多様性を認めない、マチズモから同性が抜けだそうとするのを許さない、気がします。

スーさんもおっしゃっていましたけど、女性の方は、先人の方々が頑張って、発狂してきてくださったので、だいぶ、多様性が(表面的にでも)認められてると思います。子供生まないの?と言われて、「うるせー黙れ。」と返しても、別に変なことじゃないって思えるのが、すごいな、と。昔なら、心で思う人がいたとしても、口にだすなんてとんでもない、思うほうがおかしいと言われていたのに、変われば変わるものです。ありがとう、先人の皆様。今度は、早くその質問自体が無礼千万で、よっぽどの関係じゃないと口にできないような世の中になればいいのに、と思ってます。ああ、そのために自分も積極的に発狂していかなきゃいけないのか。

ジェーン・スーさんの本を読むと、色んなことが明文化されて、そうそう、そういうのあるよね、という共感の連続です。トークでも同じ、ぼんやり思っていたことが、的確かつ説得力のある言い回しで表現されるので、めっちゃうなずきまくりました。うなずきんみたいな穏やかなうなずきじゃなくて、ヘドバンの方ね。まさに禿同。今回は、しまおさんもいらしたので、うなずき度は二倍以上。赤べこのようにうなずきつづけていましたよ。本当に、楽しい時間でした。

最後には、本にサインも頂き、でも、緊張しすぎて、関係ないことを言ってしまい、肝心なトークショーの感想が雑になったのが悔やまれます。でも、スーさんが温かく柔らかい手で握手してくださり、感激でした。