相田みつをに関する個人的な発見。
つまずいたって いいじゃないか にんげんだもの by 相田みつを
東京国際フォーラム内にある、相田みつを美術館に行ってきました。
と、言っても、それだけが目的ではなく、何箇所か巡る観光コースの一つとして訪れたので、それほど気負って、出かけたわけでもありませんでした。
父の部屋には、相田みつをさんの万年カレンダーがあり、その言葉を何度も見た記憶があります。
やわらかい、独特な書体。親しみのある、わかりやすい言葉。
人をほっとさせる、癒やしの言葉と書を書く方だと思っていましたが、美術館に行って、なんだか印象が変わりました。
厳しいんだな、と、まず思いました。
やわらかい書なのに、気迫を感じる。親しみのある言葉なのに、突き刺さる。
それまで、TVなどで特集をしているのを見たこともあったはずなのに、しっかりとお顔を覚えておらず、館内の写真を見て、すこし驚きました。
思っていたより、ずっと若い。そして、とても鋭い目をしている。
仏教家の方だと勘違いしていたこともあり、その文字や詩から、私は、絵本に出てくる和尚さんのような、好々爺を勝手に想像していたようで、その想像との違いに驚きました。
勝手に、もっと力を抜いた、優しいおじいさんだと思っていたわけです。
でも、館内の展示や、館長さんの解説を読んでいて、全然印象が変わってしまいました。
やさしくないんだ。許してないんだ。厳しく、己を律しているんだな、と、私は感じました。
つまずいたって いいじゃないか にんげんだもの と言いながら、つまずいたままでいていいとは、言ってくれない。つまずくのを恐れて、踏み出さないことを良しとはしてくれない。
あがけ、傷つけ、考えろ、赦せ、逃げるな、進め、頑張れ、一生頑張れ。
そう、口に出して、人に聞かせているようで、自分に、言い聞かせているんだ。
私は、なにか境地に至っている人だと思っていたけれど、そうじゃない、まだまだ、ここじゃない、もっともっと、ずっとずっと、挑み続けている人なんだと、初めて知りました。
出家こそされていないものの、禅宗、とりわけ道元禅師の教えに多大に影響を受けているらしく、その辺りからも、生きている限り修行であるという姿勢であり、簡単に、これでいいのだ、このままでいいのだ、などと悟った風に言わない、ストイックさに繋がるのかな、と思いました。
もちろん、これらのことは、私の勝手な解釈で、人によって受け止め方は違うと思います。
相田みつをさんの言葉に励まされるとか、書を見るとほっとするという方も、たくさんいると思います。
ただ、私には、どの言葉を厳しく、なんだか叱られているような感じで、癒されるというのとは、対極にあるのかな、と感じたという話です。
自分が、挑んでいる状態であれば、また違う受け止め方をするのかもしれません。
意外性と宗派の話で、これを思い出しました。
この中に、相田みつをさんに近いな、と思う方が出てきます。
また、取り上げられる書は、簡素でわかりやすいものばかりですが、それの母体となる長い詩があるのも、知りませんでした。
私は、相田みつをさんを、閃きの天才のように思っていましたが、産みの苦しみをこれでもか、というほど感じられる、努力の方でした。
そういう方が綴る言葉だからこそ、重く、広く、受け止められるのでしょうね。