私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

当然のように溜まり、吐き出す。

旦那が帰国して早3週間。なんだか、あっという間に旦那のペースに巻き込まれて、すでに疲労困憊。自分のペースで動けないのって、やっぱりイライラするなぁと思う日々です。あ、ごめんなさい、早速、愚痴です。

さて、やっと旦那が帰ってきてくれたことに対しての喜びは、もちろん、あります。が、ソレ以上に、やっぱりこの人面倒くさい。っていうのが、今の感想。まぁ、それにもそのうちに慣れてしまうんですけどね。慣れるには、もう少し時間が必要みたい。

出張が多いので、今だに新婚気分なのね、と言われることもありますが、新婚気分て、ドキドキするだけじゃないですよ。一緒にいられるだけで嬉しいのと、同じぐらい、改めて、他人と暮らす煩わしさを感じるのが、新婚気分です。

うちの場合は、旦那が亭主関白寄りなので、余計に、そう感じます。

減らないなんですよ。増える一方なんですよ。自分のやることばかりが増やされて、減るのは財布の中身だけ。防犯などに対する不安は、多少減ってますが、それは、彼の努力や働きによるもんじゃないからね。

面倒くさいんですよ。夕飯の献立考えるのも、帰りの時間に合わせて、おかず作るのも。朝、旦那の出社時間に合わせて起きるのも。旦那の着るものを夜のうちに出しておくのも、面倒くさい。アレとって、コレ出して、あれどうなってるの?って、いちいち指図されて、やってなければ、ぶつくさ言われて、文句を言えば、出張から帰ってきたのにとか、仕事頑張ってるのに、とか言われて、やることだけ、増やされて。そりゃ、働いて、稼いでくれるのは、有難いです。頑張って働いてるなと思ってます。以前、どこで覚えてきたのか、俺をATM扱いしてるのか、と言われたことがありますが、ATMは、勝手に残高減らしませんからね。残高気にせず好きに気が向いたら、買ってもいい?の一言だけで、ガンガン買い物するATMあったら、それ、壊れてますからね。

小学生みたいな構い方してくるのも、いい加減止めてほしい。そろそろ付き合い始めて10年ですよ。いつまでやるんだよって話ですよ。そのちょっかいの掛け方、飽きたわ。

三十路越えてもやってるってことは、多分、この先ずっとやり続けるんだろうと思うと、うんざりする。どうして、子供を積極的に欲しいと思えないのか、思い出したわ。

実際に産んだら、旦那の中で何か起こるかもしれないし、私が心身ともに死にそうになってたら、何か思ってくれるかもしれないし、逆に、何も思わず、むしろ、自分と子供でいっぱいいっぱいになる私を責めまくるかもしれない。その辺は、予想がつかない。意外と、旦那のこと、わかってないからな。っていうか、旦那のこと、考えてないんだろうな。私が。

それか、私のほうが、何かに目覚めて、子供の世話と旦那の世話を完璧にやらなきゃ、むしろ出来るようになりたい、と思って、めちゃくちゃ頑張れるようになるかもしれない。それを普通に出来るかもしれない。それは、わからない。

今の段階では、私の小さな許容範囲で、旦那と赤子の両方を面倒見るのは無理だと思ってます。だから、積極的に欲しいと思えない。以前、子持ちの友達と、そういう話をして、旦那に手がかかるから、子供の世話に自信がないなっていう感じのことを言ったら、そんなに手が掛かる旦那なの?って、軽く笑われたんですけど、あくまで自分の許容範囲内の話ですからね。友達からしたら、それぐらいってことなのかもしれないんですけど、相対的な話ではなく、主観の話をしてます。働いて、家事やって、育児やって、って出来る人はそれは素晴らしいし、尊敬します。でも、私が出来るなら、あなたにも出来ますよって言われたら、ふざけんなよって思います。旦那からしたら、私には向上心が無いんだそうです。最近は、どうして、車の練習しないの?って言われます。

あ、新しい車を買うことになったんですよ。二人でディーラーに行って、話し合って二人で決めました。でも、結局、旦那の意見を通した感じですかね。私には良くわからないので、買える値段であれば、なんでも良かったんですけど。旦那は、私の意見も聞いたって言ってますけど、私は、旦那が示してくる、「コレとコレどっちがいい?」って質問に答えたに過ぎません。最初の選択肢が少なすぎる。まぁ、私にとってのベストの選択は、金が掛かるし、実現が難しいので、仕方ないんですけどね。旦那からしたら、二人の車だし、長くのる予定だから、私にもちゃんと運転できるようになって欲しいらしいです。なので、練習すればって言われるんですけど、用もないのに乗る気しないです。怖いし。怖いっていうのは、いろんなことを停止させて、やらないのに、十分値する理由だと思ってたんですけど、そうでもないみたいですね。怖いって、結局、感情論だから、対外的な説得をするには足りないらしい。そこは、問題じゃないってやつでしょうか。私の気持ちも大事にして欲しいんだけどなぁ。それはお互い様か。

久しぶりに一緒に過ごしていると、気は使ってくれてるのは、わかるんですけど、なんでしょうね。この、被害者意識とも言える妄想は。自発的に出来てないっていうのが、一番大きい理由かなとは思うんですけど、それが、私の我儘なのか、旦那の都合なのかっていうのが、未だにわからない。わからないから、もやもやする。

週末に、旦那と過ごした時に、ただ思いつきと、気分だけで、アレが食べたい、これがしたいっていうのを言われるままに、ハイハイ聞いてたら、バンバン財布からお金が消えていくのが、なんか、ものっそいストレスでした。食べたいとか、したいって言うものの中には、私が食べたり、一緒に楽しんだりすることも含まれてるはずなのに、私の財布の中身を打出の小槌か何かと思ってるかのような態度が、なんか辛かった。

割りと腹立ったのは、ディーラーで車のオプションなどを決め、値段を確認して、契約書が出来上がるのを待っていた時、ぶっちゃけ考えていた予算よりもかなり高くなってしまっていたので、ふと、「私、あなたに甘いかな?」と言ったら、「そうだね、ちょっと甘いね。」と言われたことです。結構、腹立ったので、先日、会社の忘年会で盛大に愚痴ってやりました。今週末の友達との会合と、本社の忘年会でも、同じネタで愚痴ると思います。それぐらいには、イラッときた。私がダメって言ったところで、自分が決めてるところは絶対譲らないくせになに言ってんだか。旦那が譲れるのは、迷っている時ぐらい。決めてる時は、相談じゃなくて、報告ですからね。それは、自分もそういうとこあるかもしれないけど。

そういえば、年明けにある、こじらせ女子会に行きたいなと思って旦那に相談したら、普通は行かないんじゃないって言われました。普通てなんだよ、と思って食い下がったら、好きにしたらと言われ、好きにすることにしたのは、いいんですけど、普通にチケット取れませんでした。ロッピーって並ぶんだね。しかも、その日は、二日酔いで車の運転が不安だったから、徒歩でいったために、すぐに別のローソンに行くこともできず。待っている間にスマホで挑むも接続待ってる間に売り切れ。かなり無念。もっと早くローソンに行けばよかったし、車で行ければ良かった。全て後の祭り。仕方ない。来年中には、もう一回ぐらい、こじらせ女子会あるといいな。本を出す予定らしいので、ソレ関連でイベントあれば行きたいし、こじらせライブも行きたい。

結婚してようと、一人で出かけるのは、別に悪いことでもなんでもないと思ってるし、なんだったら、旦那にも好きな時に、出かけてもいいと思っているんだけど、旦那はそうじゃないらしい。

友達と出かける予定を入れていた日の前日、「俺は、君に自由を与えてるから、良い夫だ。」っていう感じのことを言われまして。なんか、軽く思考停止しましたよね。自由を?与えてる?私の自由は、最初から、私のもので、あなたに預けた覚えありませんけど!?と、思いつつ、「ちゃんと行ってもいい?って聞いてるじゃん。」と言ったら、「それにダメって言ったことないじゃん。」ですって。理由なくダメって言われたら、ただのDVだし、人格疑いますけどね。っていうか、今、結構、疑ってますけどね。保守的な、亭主関白に憧れるような人だというのは、知ってたけど、ここまでとは、思ってなかった。見ないようにしてたのかな。私だって働いてるし、扶養にも入ってない、ただ戸籍の筆頭と住民票の世帯主が旦那なだけなのに、養ってやってるって思ってるのが、不思議。とても不思議。養ってやってるんだから、自分が優遇されて当然と思ってるのなら、それは、私を金で買ったと思ってるってことですよね。あ、『逃げ恥』10話の内容まんまだな。あれは、影響される。愛情搾取って、うまい言葉だよね。そうそう、自由を与えてる発言された時、『逃げ恥』見てたんだわ。誕生日の特別なお料理作ってるシーンを見て、こういうのやってよって言ったから、この人雇用されてるんだよって答えた数分後に、例の発言されたんだわ。

自由を与えてるって言われるほど、頻繁に出かけてるつもりはないけどね。友達少ないから、必然的に、会う機会も少ないし。本当に、自由にしていいよって言われたら、帰りに一人でイベントとか、バーとか行きたいわ。でも、さすがにそれはないなって思ってるから、せめて、友達と会うっていう大義名分掲げられる時に限ってるのに、それも、仕方なく許してるって言われたら、ふざけんなって思うわ。

結婚するって、好きなことを諦めることと、同義じゃないと思ってたんだけどな。

旦那に、スポーツカー買いたいって言われて、そういうのは、若い時にやっとけって、私が言うのと、同じなのかな。でも、私が自分の時間を使うのと、旦那が、二人で貯めたお金を一人で使うのは、全然違うと思ったんだけどなぁ。自分でお金貯めて買う分には、構わないと思ってるけどね。それを、二人の車として乗ろうって言うのは、さすがに旦那の我儘だと思っちゃうような。

旦那としては、結婚した以上、私には、私だけの時間なんて、無いのか。全部、二人の時間なのか。そうか。そうなの?

まだ、納得も、ちゃんと理解もできないな。この辺の、感覚って、どこで養われるんだろう。やっぱり家庭?家庭のお手本は、自分の家庭だけだもんな。いくら、テレビや小説で、いろんな家庭があることを知っていても、感覚として染み付いてるには、やっぱり自分の育った家庭環境なんだよなぁ。

私と旦那は、わりと家庭環境というか、家族構成が似ていると思ってたけど、そうでも無い気がしてきた。やっぱり、私は、あまり見てなかったのかもしれないな。

恋は盲目ってやつか。自分としては、恋心は信心と同じところにあると思ってるから、余計かもしれない。旦那に恋する時期が終わってきたのかな。恋は落ちれば始まるけど、愛は育てなきゃいけないからなぁ。

なんか、いい感じのこと言って無理やり終わる。

 

延長する平日。

旅かと言われると、そうではないと言いたいのだけれど、結果、旅をしたような気もする。

旦那の母方の祖母が亡くなられたのは、秋も終わりの頃。義両親は東海、私は関東、旦那は海外という状態で、さらに、義父の体調を考慮すると、お通夜などに行けるのは私しかいない、ということになり、行くの行かないのと、揉めた挙句、電報を打つということで、話がまとまったので、結局、義母の故郷である仙台に行くことはなかった。

とは言え、旦那が帰国してきたのなら、まったく顔を出さないというわけにも行かないらしく、帰国早々に、お墓とお仏壇をお参りしに行くことになった。

位置情報としては、私達夫婦は、関東。義両親は東海。ということになるので、東北へ向かうのなら、東京駅で落ち合うか、仙台で直接会う。ということが、想定されるのだが、今回は、ちょいと事情が違う。

義父の体調は相変わらず、芳しくはない。長距離移動は難しく、かと言って、一人で家で過ごせば安心、ということもない。とすると、必然的に、義母は日帰りを余儀なくされる。東海から東北へ日帰り。移動手段として、最も早いのは、飛行機だが、義母は、飛行機が苦手。ということで、旦那が一度、東海へ行き、母と一緒に飛行機で東北へ飛び、私は、関東から直接新幹線で東北へ行き、飛行場で旦那と義母と落ち会い、仙台での移動手段はレンタカーでということになった。

さらに、飛行場へは、割りと早い時間に行かねばならず、その日のうちに関東から移動する手段がない。なので、私だけ先に、仙台に前泊することとなった。

一泊なので、荷物は少ない。お土産などを買うことを考えると機動性も重視したいと思い、移動当日は、リュックで出勤し、仕事を終え、会社最寄り駅でお土産を買って、そのまま東京駅へ移動。新幹線に乗り込み、仙台へと向かった。

週末と言うには少し早い平日。そんなに混んでいないだろうと思っていた車内は、ほぼ満席。全席指定なので、座れないことはなかったが、周りを気にせずのんびり、というわけにも行かなかった。

車中では、東京駅で買ったスイーツとコーヒーを楽しみ、夕食は仙台に着いてから食べることにした。平地を走る東北新幹線は、ほとんどトンネルに入ることはなく、ラジオを聞いていたスマホが圏外になることはなかった。誤算だったのが、仙台に到着した途端に、ラジオのデータ取得範囲が関東から東北になったので、タイムフリーで聞いていたラジオが、放送圏外になってしまい、最後まで聞くことが出来なかった。ニッポン放送って、全国ネットじゃねぇのかよ。仙台て、東北最初の政令指定都市だぞ。

とりあえず、無事に仙台に着きまして。早速、駅構内の牛タン通りで牛タンを頂きました。あの、厚切りの牛タンをビールと楽しむことができて、大人になってよかったなと思いました。

駅から近いビジネスホテルにチェックインして、この日は終了。まぁ、寝に来ただけなのでね。お部屋は、そこまで狭さを感じず、清潔感あったので、良かったです。比較的新しいみたいだったし。まだ、旦那が戻ってから、1日しか一緒に寝てないので、一人寝でも、別に寂しくありませんでした。

翌朝は、出勤する時と変わらない時間に起床。宿泊に含まれてるモーニングは、簡素ながらも、それなりにメニューが揃っていたので、遠慮なく、パンや卵などを頂きました。バイキングだとつい、食べすぎてしまうのが難点。

部屋に戻って身支度を整え、空港へと向かいます。空港までの直通電車から見える景色は、とても綺麗で、空が広くて、清々しかったです。

待ち合わせよりも早く着いたので、少し空港内を散歩したりして、時間を潰してから、旦那と再会。義母とは1年ぶりぐらいになるのかな。

挨拶もそこそこに、レンタカーに乗り込み、まずは、墓参り。

公営の霊園に作ったというお墓は、ほとんど山の中のだだっ広い敷地の中にありました。自分の実家とも、母方の家とも違う形のお墓は、なんだか興味深かった。お参りの仕方も違っていて、宗派の違いというものを、初めて感じた気がする。

お参りした後は、市街地へ戻り、昼食。やはり牛タンを食べました。牛タン発祥のお店であるというそこは、大通りから少し入った歓楽街の中にあり、わりとひっそりとした佇まい。ランチタイムは100円引きだという定食を注文。

出てきた時は、あれ?これだけ?という感じの見た目だったけれど、ものすごく柔らかくて、炭火の香りがして、臭みがなくて、すごく美味しかったです。

一緒に提供されたテールスープも旨味が溶け込んでいて、美味しかった。

食後は、側にあった百貨店で、お土産などを買い、親戚のお宅へ。お仏壇にお参りをさせてもらい、お話をしてるところで、帰りの新幹線の時間が迫ってきたので、私だけ、先にお暇させて頂き、バスで駅へ戻ります。

最後に、また牛タンを食べてから、新幹線に乗り込みました。

結局、1泊2日で、3食牛タンを食べたわけです。マジで何しいに行ってんだって話ですよね。義母には、一人で前泊だの新幹線移動だのさせて、申し訳ないって言われましたけど、正直、一人の方が気楽なので、むしろ良かったです。ごめんなさい。

帰りの新幹線も、そこそこ混んでましたが、やはり全席指定だったので、席の心配をする必要はなく、座って帰りました。直前に酒のんだせいか、動き初めてから、わりと早い段階で寝てしまい、あっという間に東京に着きました。

平日だったので、夕方に到着すると、ちょうど帰宅ラッシュの時間にかち合ってしまい、ギュウギュウの電車で帰宅することになりましたが、一人の時間、延長戦は、無事に終了しました。

総括してみようと思う。

旦那の半年に及ぶ海外出張が無事に終わりまして、帰ってきました。家に誰かがいるって、違和感しかない。そして、早速、あれこれ世話を焼かなければいけなくて、ものすごく面倒くさい。

しばらくは、お互いにストレスの日々だね、と旦那から言われたので、面倒なのは、お互い様だと思って、二人の日々を少しずつ取り戻して行きたいと思います。

さて、半年も旦那がいなかったのは、結構久々だったので、いない間に、自分が何をしていたか、少し思い返してみようと思います。自分的備忘録。詳しくはウェブでってぐらい、全部、ここに書いてる事柄ばかりですが・・・。

長いので折ります。

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嗤う平日。

最後の最後まで遊び倒しております。私です。っていうか、若干帰国日伸びてたので、本当だったら、もう、帰って来てるはずだったんですよね。なので、チケットを予約した段階では、この日の予定は、旦那が居ないうちに遊ぶ、ではなく、旦那を置いていって遊ぶ予定だったのです。どっちでも、変わんないか。

https://www.instagram.com/p/BNY5_5ijR1C/【渋い看板・・・】

というわけで、オードリーさん主催のネタライブに行ってきました。2回目。

浮かれて、上の写真をハッシュタグ付きでツイッタにアップしたら、イイネもらえたんですけど、イイネしてくれた高校生の子が、『オバサンばっかり。』って呟いてて笑いました。前回も思いましたけど、客層が割りと年齢層高めなんですよね。今回は、平日夜ということもあり、スーツの人も多く見かけました。やっぱり一人客の人ばかりで、客入れ段階はとても静か。皆さん、よく躾けられてますね・・・。

それでも、オードリーさんが登場し、ネタが始まれば盛り上がり、笑い声と拍手が沸き起こってました。自分も、めちゃくちゃ笑って、ストレス発散になったわ。今回は、結構前の席で、肉眼でもバッチリ見えました。ただ、左端の方の席だったので、立ち位置的に若林さんの背中と横顔ばかりを見ることになったのが、少し残念。

今回もオードリーさん含めて9組のネタを見させて頂きました。また独断と偏見に塗れた感想を述べさせて頂こうと思います。例に漏れず、個人の感想に過ぎません。しかもお笑いには詳しくないので悪しからず。他意はありません。以下、覚えてる限りの香盤順で感想。ライブ観てないとわかんないやつ。

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しつこく平日。

旦那が帰ってくるまで、あと僅かになりましたが、しつこく出かけています。旦那から、宅急便を受け取って欲しいという連絡があったのですが、今日も明日も出かけるから、明後日でもいい?と言ったら、旦那がいない時間を満喫してるね、と言われました。うん、正解。

というわけで、平日でしたが、会社帰りに都内へ移動し、カラー展へ行ってきました。

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ガッツリ、エヴァ世代なので、とても面白かったです。庵野監督の個人展ではなく、制作会社としての展示というのが良いですね。見応えありました。しかも、原画は撮影自由というオタクに優しい設定。動画と接写は禁止でしたけど、展示を撮影OKっていうのは、面白いですね。大体の方が、原画を全て写真に納めておられました。自分も、結構撮らさせて頂いて、楽しかったです。客層としては、やはりエヴァ世代のアラサー周辺の男女から、アニメ好きそうな若い方、特撮好きっぽい年配男性、あと、外国の方が多かったように思います。原画とはいえ、背景などが、とても緻密に描かれていて、美術品のようでした。でも、ちゃんと動くこと、アニメになることを想定されて描かれてるんだよな。完結した一枚絵じゃない。

庵野監督の奥様である、安野モヨコさん原作の動画、『おおきなカブ㈱』も上映されていて、モヨコさんの愛を感じました。みんな、庵野監督が好きなんだね・・・。確かに、なんか憎めなくて、愛おしいんだよなぁ。カントク君は。

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展示はエヴァだけでなく、カラーがCGを担当した、シン・ゴジラの展示もありました。進化の過程を並べた造形の展示に、ちょっとキュンとした。やっぱり、今は、シン・ゴジだよなぁ。好きだわ。

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そして、特撮のアーカイブや、アニメータ見本市のプロモーション展示。どれも、見応えがありました。

特撮で使われた、巨神兵がすごく大きくて、そりゃ、映画で見れば、恐怖でしかないよなと納得しました。

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アニメーター見本市は、その名の通り、色んなアニメータさんの作品が見れて面白かったです。

実は、今日も出かける予定。最後まで遊び倒して、来週から、大丈夫なのか、自分が心配です。

 

終わりの始まりが終わる。

自分がどこへ向かおうとしているのか分からない。

単なる収集癖なのかもしれない。コンプリートしたいだけで、手に入れてしまえば興味がなくなってしまうような類のものなのかもしれない。

あの人を好きになっていなければ、絶対に入ることのないような、超高級店に行ってきた。それが、いいことなのか、わるいことなのか、今の私にはわからない。でも、やっぱり申し訳ないような気持ちになるから、好きなら、何をしても許されるなんて思ってはいけないんだろう。

元同僚の年上女性と二人でご飯を食べる機会があった。いつも女子会で会うだけで、二人きりは初めて。少し緊張していた。でも、趣味の話で盛り上がり、私は懺悔のように最近の自分を語った。でも、何に、どのように嵌っているのかは、とても口にできなかった。まだ好きになってから、3ヶ月ぐらいしか経っていないんです、と言うと、もう、3ヶ月経ってるんでしょ?と言われ、毎日のように顔を思い浮かべては、好きだなって思うんですと、告白すると、恋だね!と言われました。ああ、逃げ恥のEDが聞こえてくるようだよ・・・。自分でも、まるで恋のようだと思っていたけど、人が聞いても恋だと思うのなら、やっぱり恋みたいです。そうか、恋なのか。

こういう種類の恋は、もっと若い時に済ませておくべきだったと思う。何故、今なのか。なまじ、時間とお金がある上に、行動に出やすい地域に住んでいることが、尽く裏目に出ているような気がしてならない。

悪いことだと思っているのだろうか。それは、罪だと。いや、そんなことはない。誰かが、同じ事をしていても、きっと、そういうこともあるよね、気の済むまでおやりなさいと、思うだろうし、それが知り合いであれば、直接そう伝えるだろう。悪いことではないよ、と。

では、何故自分は、こんなにも後ろめたいのだろう。既婚だから?三十路越えてるから?夢見がちだから?今更だから?多分、その全てだと思うけれど、結局は、不埒で下品に腐っていることを、実在の人物に対して考えてしまうからだろう。頭の中は自由なのだから、相手に対して、はっきりと表明したり、表現しなければ、罪悪感を抱く必要はないはずだ。好きなら何をしていいわけではないけれど、好きなだけなら、罪はない。そう思わないと、やってられない。

何故、今なのだろう、とは思う。今まで見てなかったものが見えてくるのが怖い。どうして、今まで気づかずにいられたのか、わからなくて怖い。

どうしてだろう、これまでの一人の時間とは、まるで違っている。旦那の出張先が違うからだろうか。今まではなかった時差があったからだろうか。

何がそんなに寂しかったんだろう。むしろ、一緒にいた1年がそんなに負担だったんだろうか。自由を謳歌しすぎた。

帰省含めて、旅行3回。イベントに参加すること、5回。ライブ1回。お笑いライブ、予定含めて2回。映画2本、回数にして4回。買ったものは思い出せないし、使った金額は考えたくない。自分でも、どうかしてると思う。

寂しかったのか、取り戻したかったのか。

結局、半年で9Kg近く痩せた。やつれたわけじゃない。割りと、努力して痩せた。体重も体脂肪も減ったし、全体的にサイズダウンした。髪も切った。

変わりたかったのか、戻りたかったのか。戻るって、どの時点に?

そして、スクリーンの中の人に恋をした。気持ち悪いぐらいの落ちようで、SNSを眺める時間が増えた。出演する作品を観たり、写真が載っていると聞けば雑誌を買ったり、完全にファンとして、至極まっとうに楽しんでいる。でも、これは恋だと思ってる。

好きすぎて、気が狂うかと思った。虚構に嫉妬して、悲鳴を上げるなんて、今までの自分では考えられない。何かが足りなさすぎたのかもしれない。トキメキとか、性愛とか、そういうのが、足りなかったんだと思う。

あっという間だけど、長かった半年が、もうすぐ終わる。一人で過ごす休日は、あと1日しか残ってない。それはきっと、旦那を迎える準備で終わる。

帰ってきたら、違う意味で怒涛の日々の始まり。それも、少し怖い。

私は、どこに行けばいいんだろうか。

最初に、ツイッターでその報せを見た時は、誤報か冗談だと思った。お別れの会って、生前葬でもするのかしらって。

まさか、40歳で、この世からいなくなるなんて、想像もしてなかった。だって、つい、数日前には普通に、タイムラインにいたじゃないか・・・。

 

私が雨宮まみさんを知ったのは、いつのことだったか。まだ、彼女が、『こじらせ女子』という言葉をこの世に送り出す前のことだったと思う。ネットを見ている中で、彼女の存在と、『弟よ!』というブログを知り、他のネット連載や、書かれた物を読んだと思う。

今でこそ、時間が許せば、気軽にトークイベントに出かけているが、そうなるまでには、少し時間が必要だった。

なんだか、敷居が高いような気がしていたし、行きたいと思うイベントは尽く遠かった。

それでも、どうしても行きたいと、勇気を出して初めて行ったのが、雨宮まみさんと、能町みね子さんのトークイベントだった。

リアルタイムで、この話を聞いていた。阿佐ヶ谷の地下のイベントスペースで、お酒を飲みながら、沢山笑った。とても楽しかったから、これからも、トークイベントに来ようと思えた。

この時のお話は、後に、雨宮まみさんの対談集の中の一つとして、まとめられている。

 『こじらせ女子』という言葉は、雨宮まみさんが起源だ。こじらせるという言葉そのものは、もちろん以前からあったけれども、『女子をこじらせてる人』という意味で用いたのは、雨宮さんが最初だ。

流行り言葉というのは、転がる石のように、あっという間に雨宮さんの手を離れてしまった。あらゆる媒体で、『こじらせ女子』という言葉が踊った。しかも、それは一過性の言葉ではなく、一つの分類として残るものとなった。今後、死語になっていくとしても、その言葉があった、その分類が認知されていたという事実は残る。しかし、それと同時に、『こじらせ女子』という言葉は、独り歩きし、たくさんの人の手に渡り、新たな解釈や思い込みを塗りたくられ、本来とは違う形にされてしまったように思う。

同じことが、『草食男子』という言葉でも起こってると知った時は、驚いた。言葉は人との間を行き交うことで初めて体を成す物だと思うので、仕方のない、避けれられないことなのかもしれないけど、『こじらせ女子』については、起源を知っているだけに、なんだかとても悔しかった。

今、『逃げ恥』でブレイクしている星野源さんのことは、歌もビジュアルも、ラジオも大好きなのだけれど、『こじらせ女子』を嫌いと発言したことは、今でも許せない。その言葉を引き出したインタビュアーが、一番嫌いだけど。雨宮さんが意図したものと違う意味で、『こじらせ女子』の定義を説き、それを好きかどうか聞くのは、乱暴だと思った。卑屈であることと、女子を拗らせてることは必ずしも直結しないし、サブカル好きと、マイナー好きが、全員拗らせてるわけじゃないから。もっと、中の話だし、もっとジェンダーの話だと思ってる。

『女子』を『こじらせる』って、全然楽しいことじゃない。女子としての王道を行けない。女子としての自信がない。なのに、女子というカテゴリーからは逃げられない。何も考えずに、何も疑問にもたずに、ただ女子としての日々を、悩みながらも謳歌できれば、どれだけいいだろうか、と思う。自分は、女として欠陥品なんじゃないか。でも、セクシャルマイノリティなわけでも、ない。自分は、なんだ、こんな風に考えてしまう自分はなんなんだ。そういう気持ちに、雨宮さんが名前をくれた。一人じゃないと言ってくれた。私もそうだよ、と、言葉で、抱きしめてくれた。

雨宮さんのトークイベントには、その後も何度か足を運んだ。いつも、素敵な服を着て、上品に笑い、楽しげに話をしてくれた。プライベートなことは何も知らないけど、物欲に塗れてることを認めて、ハイブランドの服をエイヤっと買ってしまう雨宮さんは、もう、こじらせるとは言わないのかもしれない。雨宮さんは、こじらせる女子の名付け親ではあるけれど、決して、こじらせ女子の代表者でも、代弁者でもないのだ。

雨宮さんが紹介してくれるものを見るのが好きだった。好みじゃなかったり、高くて買えない物もあるけど、どれもキラキラして、これを持ったらきっと素敵と思えるものばかりだった。

インスタグラムで、40歳の誕生日を楽しげにお祝いしてる様子を見た。急に女子プロに傾倒され始めて、ちょっと驚いた。日々のつぶやきをたまに眺めながら、webで連載されてるのを読むのが楽しみだった。

私は、ただの一読者で、友達でもなんでもなくて、でも、とてもショックだったし。泣いた。号泣と言うほどでもないけど、でも、涙が出た。悲しくて、悔しくて。

当たり前に、居てくれると思ってた。どうして、八重洲のイベントに行かなかったんだろうと、とても、後悔した。行ったから、どうだということもないのかもしれないけど、それでも、知ってたのに、行ってもいいな、と思ったのに、と、後悔してしまう。

一瞬輝いて、終わりのような人ではないと思ってた。40歳、50歳の雨宮さんの文章が読めると思ってた。当たり前に。書き続けてくれるものだと。勝手に思ってた。

私なんかが、雨宮さんのことを語るのは、烏滸がましいし、恥ずかしいけれど、でも、悲しいですと、伝えたかった。

とても、悲しいけれど、40歳で短い生涯を終えてしまったことで、これまでの雨宮さんを否定するようなことは、考えたくない。悔しいけど、生きていて欲しかったけど、雨宮さんが、何か間違ってたから、こんな結末を迎えたわけではないと思いたい。

雨宮さんのツイッターやインスタはいつまで見られるんだろう。

久保みねヒャダのエンディングで、楽しそうに跳ねる姿がいつまで見られるんだろう。

こんな気持は、いつまでも持てるものじゃないのかもしれないけれど、今だけは。