私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

最初に、ツイッターでその報せを見た時は、誤報か冗談だと思った。お別れの会って、生前葬でもするのかしらって。

まさか、40歳で、この世からいなくなるなんて、想像もしてなかった。だって、つい、数日前には普通に、タイムラインにいたじゃないか・・・。

 

私が雨宮まみさんを知ったのは、いつのことだったか。まだ、彼女が、『こじらせ女子』という言葉をこの世に送り出す前のことだったと思う。ネットを見ている中で、彼女の存在と、『弟よ!』というブログを知り、他のネット連載や、書かれた物を読んだと思う。

今でこそ、時間が許せば、気軽にトークイベントに出かけているが、そうなるまでには、少し時間が必要だった。

なんだか、敷居が高いような気がしていたし、行きたいと思うイベントは尽く遠かった。

それでも、どうしても行きたいと、勇気を出して初めて行ったのが、雨宮まみさんと、能町みね子さんのトークイベントだった。

リアルタイムで、この話を聞いていた。阿佐ヶ谷の地下のイベントスペースで、お酒を飲みながら、沢山笑った。とても楽しかったから、これからも、トークイベントに来ようと思えた。

この時のお話は、後に、雨宮まみさんの対談集の中の一つとして、まとめられている。

 『こじらせ女子』という言葉は、雨宮まみさんが起源だ。こじらせるという言葉そのものは、もちろん以前からあったけれども、『女子をこじらせてる人』という意味で用いたのは、雨宮さんが最初だ。

流行り言葉というのは、転がる石のように、あっという間に雨宮さんの手を離れてしまった。あらゆる媒体で、『こじらせ女子』という言葉が踊った。しかも、それは一過性の言葉ではなく、一つの分類として残るものとなった。今後、死語になっていくとしても、その言葉があった、その分類が認知されていたという事実は残る。しかし、それと同時に、『こじらせ女子』という言葉は、独り歩きし、たくさんの人の手に渡り、新たな解釈や思い込みを塗りたくられ、本来とは違う形にされてしまったように思う。

同じことが、『草食男子』という言葉でも起こってると知った時は、驚いた。言葉は人との間を行き交うことで初めて体を成す物だと思うので、仕方のない、避けれられないことなのかもしれないけど、『こじらせ女子』については、起源を知っているだけに、なんだかとても悔しかった。

今、『逃げ恥』でブレイクしている星野源さんのことは、歌もビジュアルも、ラジオも大好きなのだけれど、『こじらせ女子』を嫌いと発言したことは、今でも許せない。その言葉を引き出したインタビュアーが、一番嫌いだけど。雨宮さんが意図したものと違う意味で、『こじらせ女子』の定義を説き、それを好きかどうか聞くのは、乱暴だと思った。卑屈であることと、女子を拗らせてることは必ずしも直結しないし、サブカル好きと、マイナー好きが、全員拗らせてるわけじゃないから。もっと、中の話だし、もっとジェンダーの話だと思ってる。

『女子』を『こじらせる』って、全然楽しいことじゃない。女子としての王道を行けない。女子としての自信がない。なのに、女子というカテゴリーからは逃げられない。何も考えずに、何も疑問にもたずに、ただ女子としての日々を、悩みながらも謳歌できれば、どれだけいいだろうか、と思う。自分は、女として欠陥品なんじゃないか。でも、セクシャルマイノリティなわけでも、ない。自分は、なんだ、こんな風に考えてしまう自分はなんなんだ。そういう気持ちに、雨宮さんが名前をくれた。一人じゃないと言ってくれた。私もそうだよ、と、言葉で、抱きしめてくれた。

雨宮さんのトークイベントには、その後も何度か足を運んだ。いつも、素敵な服を着て、上品に笑い、楽しげに話をしてくれた。プライベートなことは何も知らないけど、物欲に塗れてることを認めて、ハイブランドの服をエイヤっと買ってしまう雨宮さんは、もう、こじらせるとは言わないのかもしれない。雨宮さんは、こじらせる女子の名付け親ではあるけれど、決して、こじらせ女子の代表者でも、代弁者でもないのだ。

雨宮さんが紹介してくれるものを見るのが好きだった。好みじゃなかったり、高くて買えない物もあるけど、どれもキラキラして、これを持ったらきっと素敵と思えるものばかりだった。

インスタグラムで、40歳の誕生日を楽しげにお祝いしてる様子を見た。急に女子プロに傾倒され始めて、ちょっと驚いた。日々のつぶやきをたまに眺めながら、webで連載されてるのを読むのが楽しみだった。

私は、ただの一読者で、友達でもなんでもなくて、でも、とてもショックだったし。泣いた。号泣と言うほどでもないけど、でも、涙が出た。悲しくて、悔しくて。

当たり前に、居てくれると思ってた。どうして、八重洲のイベントに行かなかったんだろうと、とても、後悔した。行ったから、どうだということもないのかもしれないけど、それでも、知ってたのに、行ってもいいな、と思ったのに、と、後悔してしまう。

一瞬輝いて、終わりのような人ではないと思ってた。40歳、50歳の雨宮さんの文章が読めると思ってた。当たり前に。書き続けてくれるものだと。勝手に思ってた。

私なんかが、雨宮さんのことを語るのは、烏滸がましいし、恥ずかしいけれど、でも、悲しいですと、伝えたかった。

とても、悲しいけれど、40歳で短い生涯を終えてしまったことで、これまでの雨宮さんを否定するようなことは、考えたくない。悔しいけど、生きていて欲しかったけど、雨宮さんが、何か間違ってたから、こんな結末を迎えたわけではないと思いたい。

雨宮さんのツイッターやインスタはいつまで見られるんだろう。

久保みねヒャダのエンディングで、楽しそうに跳ねる姿がいつまで見られるんだろう。

こんな気持は、いつまでも持てるものじゃないのかもしれないけれど、今だけは。