爆ぜるほど詰まっていたのか溜まっていたのか。
久しぶりに酷い喧嘩をしました。酷いというのは、深刻ということではありません。
きっかけは、些細な、本当に本当に下らないことで、ただ、喧嘩の仕方が酷かった。
夫は激昂して、怒鳴り、ハンドルを何度も叩き(車で移動中でした。)、ブレーキを急に踏んだりして、不機嫌を表しました。
私は、泣きじゃくり、ヒステリックに叫び、言葉をぶつけ、夫を責めました。
たまに、喧嘩をして、お互いに言いたいことを言うぐらいが、夫婦仲良くいる秘訣だと言う意見を聞きますが、それは、コミュニケーション能力の高い人達ができることなんだと思います。
私達は、喧嘩をしても、スッキリなんて出来ません。やり過ぎたなと思った頃に、夫が謝って来たり、なんでもないように、普段どおりのことをして、喧嘩は終わります。
喧嘩中に言ったことは、なかったことのようにされて、お互いに再度冷静にそれについて話すようなこともなく、ただ疲弊するだけ。今回は、お互いに怒ることに疲れすぎて、帰宅してから、寝込んでしまいました。
私は、根に持つタイプなので、何度も夫に言われたことや、言ったことを思い出しては、新たに落ち込んだり、イライラしたり、意味のないことだとわかりつつも、一人で引きずってしまいます。
夫は、なんでもないように振る舞っていますが、胸の内まではわかりません。
1年ほど前に、問題だと思っていたことが、解決しないまま、先送りにし、少しの猶予期間のようなものが与えられ、半年近くは考えないで済んでいたのですが、ここに来て、また目の前に提示されることになり、考えないではいられなくなりました。
1年ほど前に書いた日記を読み返すと、驚くほど、そして呆れるほど状況が変わっていなくて、ガッカリしました。多分、そう遠くない内に、また似たような事態に陥るのだと思います。
喧嘩をする前、ちょうど、それに関することを話していました。お互いに、不安や苛立ちを抱えていたのだと思います。それで、つまらないことを引き金にして、爆発させてしまったのでしょう。
私達の喧嘩は、言い合いでも、議論でもなく、ただのマウンティングです。どちらが上位なのか決めようとしてしまう。内容は二の次なのです。だから無意味だし、発展もない。それを機に論点にしていた問題を解決することは出来ないのです。
じゃれ合いと言ってしまうのは、さすがに辛いですが、似たようなものかもしれません。
この先も、平行線は続くでしょう。お互いを舐め合って、お互いを変わるべきだと思っている二人に行き着く先などありません。睨み合いながら、同じところをぐるぐる廻り続ける様は、傍から見たら、遊んでいるようで、楽しそうにさえ見えるでしょうか。
廻り続ける輪の中心は、私達が遠ざけたがっている、様々な問題です。たまに触れては、上手に扱えず、放り出して、また積み直して、賽の河原のようにくり返しているのです。それを続けて、はや5年。逃げぐせのある私は、そろそろ退路を探しています。
緑の紙を貰いに行くのは簡単ですが、今は、それを恥ずかしい、と思ってしまいます。
簡単に離婚だなんて言い出して、恥ずかしい。離婚するような相手と結婚を決めて恥ずかしい。結婚相手と正常な結婚生活を営めなくて恥ずかしい。
世間に対して、恥ずかしいと思っているのです。
たくさんのことに目をつぶって、先送りにして、何も考えないで、何かをすり減らして、この生活を続けることは、それほど難しくありません。意外でしょうか。でも、そうなのです。私には、日常を変えることのほうが難しい。きちんと向き合って、それでも相容れなくて、それぞれの道を探る、なんてことができるとは、今は思えません。
逃げると言っても、今は宛がないし、職場も一緒なので、逃げたら職まで失うことになってしまう。それは、困る。
何を解決したら、少しはマシになるのか、それが知りたい。今回のきっかけとなった、小さなことを、回避できるように先回りしたり、我慢したりすればいいのだろうか。でも、それは対処療法であって、根本的な解決ではない気がする。
ほら、またグルグル考えている。下らない、つまらない、犬も喰わない喧嘩でしたが、その原因がずっと変わらないことにも、自分の怒り方が中学生ぐらいから変わらないことに、軽く絶望しました。己のメンタルが成長してないなら、大人として解決できるわけないよなぁ。
全部、夫のせいにして逃げ出したいけど、案外、夫も一緒に生活一新させたら、全部解決したりしないかな。
そういう大逆転発想も、中坊メンタルぽくて恥ずかしいわ。