私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

それは自動的に。

なんだか自分でも混乱というか、よくわからなくて、これはとにかく言葉にして吐き出したほうが良いのかもしれないと思い、書き連ねることにしました。支離滅裂な文章になると思いますが、ご容赦下さい。あ、いつものことか。

母からの電話は、てっきり、アラフォーの従兄の結婚式のことだと思った。けれど、内容は予想の斜め上をいっていた。父の遺産について伝えることがあるという。還暦もとうに過ぎ、持病もある父が、そろそろどうにかなりそう、ということではなく、私の兄が家を建てるので、生前分与をしたい、ということらしい。家を立てること自体、悪い話ではない。母は兄夫婦が無計画であるように言っていたけれど、一から十まで両親に相談するような兄ではないので、まったく不思議には思わなかった。それで、私にも生前分与をという話ではなく、とにかく兄にはまとまった額を渡すけれども、私にも相応の分は用意できるようにするので、心配するなということらしい。今のところ、遺産など特に気にしていなかった。くれるというのなら、吝かではないぐらいのものだ。とはいえ、実際に、遺産をもらう段になって、自分がどういう状態にいるかわからない。とにかく、もらえるものはそれなりに、いや、いっそ兄の分まで欲しいと思うような状況になっているとも限らない。その時になって、言った、言わないの話にはならないように、それなりに文章で残しておいてもらえれば、それで構わない、と伝えた。今の状態では、それ以上に言えることはない。

話はそれで、終わりかと思いきや、ところで、あんたのところは、子供のことはどうするのかと尋ねられた。どうやら、兄の新居予定地のニュータウンで、子育て家庭を見かけて、心配になったらしい。兄のところは結婚10年近いが、未だ、子宝に恵まれず、結婚3年を過ぎた私からも、それらしい話どころか、子供を作ろうと思うという話も聞かないので、とうとう切り出してきたということか。とはいえ、結婚1年目は、旦那に半年の出張に出かけられ、2年目も、途切れ途切れながら、断続的に出張に出られてトータル3ヶ月ぐらしか旦那が日本におらず、3年目の昨年は一年日本にいたから、それなりにチャンスだと、私も思っていたけれど、なかなか決心がつかないし、旦那はなんだか多忙を極めて常に疲労困憊。はっきり書くのは憚られるけれども、子供が欲しいと思っている夫婦が営むような回数ではなかった。それで、欲しいと思っているなどと言うとは、生命の神秘舐めてんのか?という話だ。多分、旦那の方はそういう知識に乏しい。避妊しなければ、いずれ出来ると思っていたのだろうし、実際、そういう夫婦やカップルもいるだろう。けれど、そういうカップルが、どれぐらい数を打ってるのか、私は知らない。母は、結婚自体は遅かったものの、子供が出来るまでは、そう、時間は掛からなかった。不妊とは無縁に子供を授かっている。だから、兄も私も、そいうなのだろうと思っているフシがある。自分に則して物事を考えるのは当然のことだけれども、私は新婚の両親が月に何度励んでいたのかなど聞かないし、聞きたくもない、自分の夫婦生活についても、母に話す気など毛頭ない。だから、母が思うような回数、励んでいるにもかかわらず、私たちが授からないのは、どちらかの身体に何かあるのだろうと考えるのも不思議ではない。孫がいないのは、母の悩みであるから、親戚や親しい人に相談することもあるのだろう、相談すればアドバイスをもらうこともある、実体験や、自分の子供夫婦のことなどを話してくれるような親身な人もあるだろう。母に悪意があるとは思わない。むしろ、心配し、気遣って、解決策を提供してくれている。それでも、私は母から、不妊検査を受けたらどうかと言われ、自動的に涙が出た。ショックや、悲しみや憤りよりも先に、涙が出た。どうして、涙が出るのかわからなかった。それは、本当に、自動的に、としか言いようのない、システマチックな涙だった。

泣いているわけではなかったので、涙を流しながらも、そのまま、母と話し続けた。そういう方法もあるね、私は、大丈夫だと思うけれども、調べて、旦那とも相談してみるよ。母は、私の何も変わらない様子に、言い難いことだったけれど、言って良かったと思っているようだった。ついでに、昨年、子宮頸がん検診を受けた時のことと、生理が止まらなくて、エコー診断をしてもらい、ホルモン剤を投与されたことを話した。そういえば、母には話してなかった。生理が止まらなかったのは、ストレスなどでホルモンバランスが乱れたせいらしい、と言うと、あんたに、何のストレスがあるの?とさらりと言われた。そうだ、こういうことを、サラリと言う人だった。社会で生きててストレス感じない奴なんかいねーよ、と心の中でつぶやきながら、まぁ、旦那のいない時期だったからね、と返した。それよりも、と今度こそ従兄の結婚の話を振り、何を着ようか、いくら包もうか、などと話してから電話を切った。電話を切っても、自動的に流れた涙の意味を考えてしまって、落ち着かなかった。旦那にぶちまけようかと、旦那とも電話で話したけれど、思うようなことは伝えられず、不妊検査も必要と思うなら受ければいいというような答だった。ついでに、遺産の話と従兄へのご祝儀の話もしておいたが、こちらも、なんだか話が噛み合わなかった。旦那は、遺産の話は、自分たちにくれる分、という言い方をしたのに、ご祝儀については、私は両親と一括りとして出すのだと思っていたらしい。意味がわからない。知識の違いを即、常識の違いにはしたくないけれど、矛盾したことを言われるとさすがに、むっとした。ケンカはしたくなかったので、笑い飛ばしたけど、旦那はムッとしたことだろう。もちろん、旦那ばかりが悪いわけではない。旦那は旦那で出張先で、腹を下すわ、徹底的且つ一方的に嫌われている先輩とやりあったり、と出張早々に凹んでいて、それどころではないという感じなのだろう。そこに関しては、私が悪かった。慣れない土地への海外出張に出ている旦那を気づかえない無神経さは、母を責められない。

さて、旦那に話しても、というより、思ったようなことは話せなかったので、やっぱり落ち着かない。システマチックな涙の意味は、何なのだろうか。

不妊だと決めつけられたことか。検査を受けろと言われたことか。それを言うことで、責められてると感じたのかもしれない。言われてしまったという衝撃だったのかもしれない。

孫が生まれるかどうかは、母の問題である。でも、その孫である子供を生むのは、私だ。検査を受けるのも私、治療が必要ならば、それを受けるのも私。不快な思いや痛い思いをするのは、私なのに、それをするかどうかの指図を誰かに受けたくない。

私が子供を授かれば、母はきっと全面的に強力してくれる。里帰り出産を勧めてくれるだろうし、産前産後も色々と面倒を見てくれることだろう。そう思えるぐらいの信頼を母に対しては持っている。それでも、それらを関係ないと言ってしまえるぐらい、私は私の身体が私だけのものであることが揺るぎない。

また、私達に子供が出来ないことに関して、母に直接相談したことはない。出来なくて困っているとか、検査を受けたいけど、迷っているとか、そんな話はしたことない。にも関わらず、まず、こちらの状況を聞こうともせず、一方的に、誰かに私のことを明け透けに話した末にもらったアドバイスをそのまま伝えてきた。

ここまで考えて、どうやら、私は怒りを覚えたのだと思った。酷いことを言われたと思ったのだ。脊髄反射的にそれを感じて、自動的に涙が出たのだ。

私、お母さんに、子供が欲しくて頑張ってるよ、なんて話した?頑張ってるけど、出来なくて辛いって言った?タイミング法も試してないのに、とりあえず、口だけで子供が欲しいとか言いつつ、全然回数の足りない旦那のせいかもしれないのに、とりあえず、器具突っ込まれて、検査受けてみればとか、簡単に言わないで欲しい。だいたい、それでうまくいった人がいるって聞いたってことは、私達が不妊かもしれないっていう、デリケートでプライベートな話を、自分の愚痴や相談事として、話したってことだけど、それは、私達の問題で、相談するなら、私達がすることで、お母さんが、代理みたいに話すことじゃないんだよ。

というようなことが、瞬間的に頭を巡って、涙を流させたんだろう。

繰り返しになるが、母は悪く無い。多少、無神経で、一方的なところはあるが、全ては良かれと思って言ったことだ。それは、十分わかってる。そして、私の怒りも、また手前勝手なものなのだ。母とは関係ない、これは、私達夫婦のことで、私自身の身体のことで、母の入る余地などない、と言うのは簡単だけれど、そんなことがないのもわかってる。多分、私が思っていることを全て伝えても、母にも旦那にも分かってもらえないだろうなと思う。何故なら、どれも、私自身が抱える問題だからだ。私が、どう考えて、どう感じるかという主観の話だから、分かってもらおうというのは無理な話だ。私にも、育てた我が子二人共、ちっとも子供が授からないという母の悩みを主観的に感じることは出来ない。

次に母に会うのは、夏頃だろうか。秋頃だろうか。その頃には、きっと、こんな怒りは風化しているだろう。離れて暮らしている利点だ。そういえば、だから、親の脛をかじっても、家を出たいと思ったんだなと、思い出した。

責められたと感じたのは、自分にも非があることがわかっているからだろう。30間近で結婚しておきながら、すぐに妊活を始めなかったこととか。子供がどうしても欲しいと思えなくて、旦那を妊活へ促せなかったこととか。不妊かどうか確かめるために、婦人科へ行くのは別にいいけど、基礎体温もちゃんと測ってないし、タイミング法も試してないのに行くのは、恥ずかしい。まずは、そこから、とか言われたら、そんなん知っとるわ。ということになってしまう。わかってることを言われに行くのは嫌だ。

学生の時に、不妊治療や中絶などについて調べたことがある。10年以上前の知識なので、今では事情が違うところも多々あるだろうが、一度は、きちんと調べた、多少の知識があるという自負が、余計に、半端な知識を入れ知恵してきやがって、という気持ちにさせるのかもしれない。母がどれほど調べて、知識を得ているのかも知らないのに。

それでも、なんか、良さそうとか、効果があったからぐらいのもので、気軽に勧めてほしくない。自分の体のことは、自分で決めたい。

授かった後は、生活だから、私だけで決められることばかりじゃない。仕事をどうするのか、どこで産むのか、どこで育てるのか、どう育てるのか、旦那と相談することだし、頼るなら母にも相談したい。でも、まだ、その段階じゃない。

色々すっ飛ばして、いきなり責められたから涙が出た。私の場合はそうだった。

言われた次の日も、そのことを考えると涙が浮かんだ。それぐらい、強烈だった。

責められるのは嫌い。決めつけられるのも嫌い。

私は怒る時も言葉がすぐに出ないらしい。

 

【蛇足】

実は、これを書いたのは6月頃のことで、書いたまま放置していた。

今月、実家に帰るので、この時の気持ちを確認しておきたくて、引っ張り出してきた。

今も、この時の気持ちとあまり変わらない。

むしろ、それまでしていた基礎体温を測ることすら、止めてしまった。

欲しいかどうか、答えもまだ、出せないでいる。