私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

低く屈むのは、圧力か高く跳ぶためか。

とうとう関東も梅雨入りしたらしい。夏のように暑い日々が続いていたから、異常気象なのかと思いきや、梅雨入りの時期は平年並み。頭がぼんやり重たいのも、胃がチクチクと痛むのも、全部、気圧のせいにしてしまいたい。

旦那が帰国してきてから1ヶ月は経つのに、一向に落ち着く気配がない。それどころか、忙殺されそうな雰囲気。忙しさに殺されるって、恐ろしいことだよ。心身ともに疲労困憊の彼に、なんて言ってあげればいいのか、戸惑う。もう、いいよ、頑張らなくてもいいんだよ、辛かったら、逃げてもいいんだよ。そう言ってあげられたらいいのに、社内のことがわかっていると、彼がいなくなった後の混乱が見えてしまう。それ以前に、こんなにも彼に頼って、寄りかかっている状態の私が、そんなこと言っても、なんの支えにもならない気がする。

ただでさえ、辛いことが多い毎日に、さらなる追い打ちが掛かるようなことが起きて、いよいよ壊れるんじゃないかと、心配してる。

愛車の故障と、義父の体調不良を並列にするのは、憚られるけど、同時期に起こったせいで、身動きが取れないのは確か。愛車の故障が、旦那の運転中に起こらなかったのは、不幸中の幸いだし、義父の体調不良が生死に関わるものでなく、また適切な処置を受けられるところにすぐに行けたのも、不幸中の幸いだった。同時期に起こることで、最悪の事態が相殺されていたのかもしれないなと、一人で考える。とても、口には出せないけれど。そういえば、今年は私が前厄だったわ、などとも、旦那にも義母にも言えやしない。最悪の事態が回避されたとはいえ、すっきり解決することは、多分、ない。これまで通りになるには、きっと時間がかかるし、ならないかもしれない。新幹線で1時間半の距離を、気軽に行き来できる身軽さがあって、心底良かったと思う。病室で横になる義父のいつものニヤリと笑った顔と、旦那の顔を見た時の義母の安心した顔を見て、短い滞在時間でも、来て正解だったなと思った。まだ、数えるぐらいしか、義両親と会っていない私は、どうしたって他人で、二人の心の支えにはなれないから、せめて、二人の唯一の支えである旦那を助けることで、二人の力になれたら、と思う。笑って、愚痴を聞いて、ご飯を用意して、出来ることは少ないけど、それぐらいはしないと。

何が正しいかなんて、誰が決めるんだろう。旦那が苦しんでるのはわかるけれど、それが、誰のせいなのか分からない。彼の仕事の仕方が悪いのか、上司の采配が悪いのか、会社のシステムが悪いのか、そもそも社会構造が悪いのか。なんだっていい、誰が悪くたって、そんなことはどうでもいい。始発で出社して、疲弊して日付が変わる頃に帰ってくる毎日が終わってほしい。仕事が無いよりはマシかもしれない。残業手当も休日出勤手当も、ちゃんと出る。お金が貰えないと話にならないけど、貰えればそれで済む話でもない。お金があれば解決することは沢山あるけど、お金で買えないものは失ったら、取り返しがつかないものだよ。私は、ただ自分の家族の健康が心配で、なんとかしてほしくて、でも、どうすればいいのかわからない。例えば、全て投げ出して、旦那と一緒にとんずらこけばいいのか。とりあえず、安定収入目当てに厚かましく居座り続ければいいのか。

誰か一人の無能のせいなら、その人をどうにかしたい。でも、そうじゃないことは薄々わかっている。首をすげ替えたところで、やることは、そう変わらない。仕事量の話なのか、効率の話なのか、相性の話なのか、人間性の話なのか。複雑に絡み合って、時間ばかりが過ぎていって、何も変わらないまま、とにかく目の前の仕事を片付けるのに必死で、疲労だけが蓄積されていくのを私はただ見ているだけだ。前にも同じようなことがあって、私はその時も何も出来なかった。他の、同じような働き方をしてる同僚を見ても、忙しそうだなとしか思わないのに。同僚の家族は、どんなふうに思っているのかな。働くって、そういうものだと思っているのかな。私だって、どこか仕方ないと思っているから、何も出来ないと思うのかな。少なくとも、私がしゃしゃり出ても解決するものじゃないと思ってる。足りないものはなんだろう。

人手でしょうか。単価でしょうか。時間でしょうか。それを増やす糸口は皆無なのでしょうか。

私にとっては居心地の良い職場で、頼れる上司でも、旦那にとってはそうじゃない。次のステップを考える時期が来てるのかな。