私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

それも仕事ですから。

「楽しく仕事をして欲しい。」そう、上司は言った。自分は、仕事が楽しい。楽しいから、頑張れる。楽しめれば、上手く行く。そういう意味で言っているのだと思った。

『楽しい』は主観だ。なにを、楽しいと思うかは、人が決めることじゃない。

「仕事、楽しい?」数年前に、初めて行った美容院で言われた時も、昨日、上司に聞かれた時も、同じ言葉が出てきた。

「楽しい、とかじゃないですね。」

仕事をする上で、楽しいかどうかは、重要じゃないと思っている。

私にとって、仕事は手段だ。生活の糧を得る手段。

もちろん、生活の大部分を占めているものだから、どんなものでもいいわけではない。なんでも良ければ、転職していない。

でも、苦痛でない、今すぐに辞めたいと思うような、環境でも待遇でもないなら、その内容が、面白いかどうか、好きかどうか、楽しいかどうかは、やっぱり重要じゃないと思う。

仕事は、楽しくなくてもいい。楽しいことがあれば、それに越したことはないけれど、仕事が楽しくなくてもいい。

楽しいことは、仕事をしてない時にすればいい。

「趣味とか楽しめればいいかなって。」

「趣味って何?」

「それは言いません。」

言えません。人に、私はコレが趣味ですと、紹介できるほど打ち込むような趣味はないし。ただ、やりたいことと好きなことと、楽しいと思えることが幾つかあるだけ。

それも、イケメン俳優をそれなりに追うこととか、BLとか、アニメとかドラマとか、バレエとかダイエットとか、夫にも言えないことが沢山あるのに、とても上司には教えられない。秘密を持つことも、趣味の一つかもしれない。

余談だけれど、BLを読むようになり、所謂薄い本を買うようになった。増えてきたなと思ったので、雑貨屋で手頃なコンテナ型の箱を買って入れてみたら、あっという間に埋まってしまい、すぐにもう一つ購入することになった。そして、それも、もうすぐいっぱいになる。大人になってからの趣味は増殖速度がえげつなくていけない。

ちなみに、某俳優さんが載ってる雑誌も随時買っているが、それも置き場所に困り、今は同じような箱に入れて天袋に置いている。早いとこ、スクラップのスキルを会得しないと、天袋の底が抜けそうで怖い。

 

楽しいかどうか、幸せかどうか、好きかどうか、愛してるかどうか。

考える時、つい、言葉の意味を考えてしまう。それは何か、何を意味するのか、その意味に当てはまらない場合は、どうなのか。

別に、普遍的な答えを知りたくて、聞いているわけじゃないのに。

「君はどうなの?」

それを聞く時、何を言われても、受け入れる覚悟はあるのだろうか。

「君は、どう(俺が納得できることを言える)なの?」

それは、質問とは言わない。

 

「どうすればいいと思う?」

上司になったばかりで、不安いっぱいなのだろう。気持ちはわかる。

職種も年齢も性別も、仕事に対する姿勢も違う私から、言えることは、何もない。

何もないけれど、何か言えと言うのなら、要望しかない。

 

あなたと目の前の人間が、他人であることを認めて。

誰もがあなたと同じようになれないことを、認めて。

あなたの考えが、常に人と同じではないことを認めて。

 

上司は王様じゃない。祀り上げるつもりはない。

革命を起こして欲しいわけじゃない。

プロパガンダをするなら、もっと狡猾にしてほしい。

 

上司の仕事は、決裁をすることと、責任をとること。

そう思うのは、私の理想だろうな。

 

考えていて、気がついた。この要望は、夫に対する気持ちと同じだ。

家庭生活も、楽しいばかりじゃない。家事は嫌い。しなくていいなら、したくない。

仕事も同じ。しなくていいなら、多分してない。例えば、今から平均寿命ぐらいまで、好きに生きても困らないほどのお金があれば、きっと働かない。

そういえば、TLで、こんな記事が流れてきた。

tofufu.me

私は、間違いなく2兆円。結局、そういうことなんだと思う。

楽しければ、それで解決なら、「やりがい搾取」なんて言葉は生まれないだろうな。

好きなことやってるなら、稼げなくていいなんて、そんなわけないのに。

仕事が楽しくて、プライベートも充実してれば、それが一番いいに決まってる。

それが理想と言うなら、語るべきは夢じゃなくて、具体策であって欲しい。

それも、私の勝手な理想。

別に、誰が上になろうと、私のやることは、変わらない。働きますよ。雇われてますから。稼がないと生活できませんから。楽しく、仕事、できればいいでしょうけど。

それは、別に優先的にすべきことじゃないと思ってしまうのは、私が、根が自堕落だからでしょうかね。