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私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

その言葉を口にするなら。

友達の出演する舞台を観に行ってきたので、その感想など。

エンターテイメントユニットLibertaさんの、第9回本公演『ハッピー・スーサイド・カンパニー』を観てきました。スーサイドって、なんだ?と思ってたら、パンフに書いてありました。スーサイドとは、英語で自殺を意味するらしい。ということは、題名を直訳すると、『幸福自殺会社』。幸福な自殺?それってどういうこと?

今回の公演は、短いお話が4つのオムニバス形式。そのうちの、4つ目のお話が2パターンあるという、なんとも商売上手な公演(笑)私も、両方のお話が観たかったので、2回観に行きました。場所が、家から若干遠いところだったので、何度も行くよりはと、1日に昼の部と夜の部を連続で観ました。正直、ちょっと疲れた。でも、意図的に、昼と夜で座る場所を極端に変えたり、一回目で見れてなかったところを二回目で確認したりできたし、2パターンのエピソードを両方見れたし、それ以外でもいくつか違うところがあったので、それを観ることが出来たので、やっぱり、二回観て良かったなと思いました。

6月28日まで演ってるので、興味を持った方は、観に行ってほしいな。なんて、広大なネットの片隅で、無意味に宣伝してみたりして。関係者じゃないんですけどね。

ここからは、ネタバレを含むので、折ります。

 この世とあの世の間にある、どこでもない世界。その世界には、『ハッピー・スーサイド・カンパニー』という会社があり、そこで働く営業部員は、この世で自殺したいと願った人が、より、望んだ通りの自殺ができるようにお手伝いするのが、お仕事。その営業部員である、ツムギとイオリがお話の主役。オムニバス形式というので、ショートコント的なのを想像していたのですが、とんでもない。一話ごと、それぞれで2時間の舞台を作れるようなしっかりとした、短編でした。

1話目は、恋人に振られて死にたいと願う女性の話、2話目は、元いじめの加害者が、許されたくて死にたいと願い、3話目は、難病の少女が、これ以上、家族に負担を掛けたくないと思い、死を願う。それぞれ、恋愛、友愛、家族愛とテーマが分かれていて、自分は、何が琴線に触れるのか、どこが泣きのツボなのか、わかっちゃうような作りになっていました。

4話目は、ツムギが主役の回と、イオリの主役の回があり、ツムギが家族愛、イオリが恋愛がテーマのようでした。

死がテーマなので、重かったり、怖かったりしてもおかしくないのに、それぞれのキャラクターがなんだか面白くて、悲しいけど、笑っちゃう。観終わった後は、優しいお話だったなという印象が残りました。

Libertaさんは、メンバーさんが3人という小規模なユニットさんですが、毎回、客演で多くの方が出られて、舞台も衣装も凝っていて、とても小規模とは言えない舞台を作られます。特に今回は、出演者が20名以上ということで、いつも以上に、出演者さんの厚みを感じました。とくに、ツムギとイオリの元先輩である、マカロンさんがいることで、舞台そのものに深みが出るなと思いました。そして、司会の八丈島さんなど面白キャラの方が、全力で振り切ることで、廻りの可愛い女性たちが一層際立つように感じました。どちらのキャラも、目を引きすぎる感じがあるので、わざとらしさ、あざとさが気になる方もいるかもしれませんが、笑って欲しいところで、笑いがしっかり取れるって、やっぱりすごいことだと思うんですよね。

Libertaさんは、メンバーさんはもちろん、客演の方含めて、とてもビジュアルがいいので、眼福というか、舞台で可愛い人をいっぱい見れた!というとこだけでも、満足させちゃうような感じなのですが、やっぱりキャストに幅があることで、ストーリーにリアリティが出る気がしました。リアリティを感じると、感情移入しやすくなるし、役者さんの気持ちもより、伝わってくると思います。

1回目に見た時は、3話目が一番泣けて、4話目のツムギsideで、もっと泣けてきました。どうやら、私は家族愛に弱いらしい。家族っていうか、親子か。特に、4話目で、ツムギが自分の命と引き換えに産んだ娘が死にたがっていて、その娘に対して、土下座しながら、「産んだことは謝りません。辛くても生きて下さい。」というような台詞を言う場面で、ものすごく込み上げてくるものがありました。ツムギは天涯孤独で親を知らなくて、だから、子供にかける、ありきたりな言葉すら出てこなくて、土下座しちゃうんです。そこにツムギの愛を感じました。ああ、自分も親側に感情移入する歳になったんだなって感じです。年取ったわ。

逆に、恋愛をテーマにした話は、面白いし、役者さんが巧みで、観てて楽しかったけど、感情移入はしてなかったかな。そういう部分、枯れて来てるのかも。だから、2回目に見た、4話目のイオリsideの恋愛話も、ドラマとしては面白いし、イオリの死に方に対して思うところもあったけど、ドキドキとかキュンキュンという感じではなかった。役者さんは、やっぱり巧みでイケメンで、素敵だったけど。最近、平面でしかイケメン観てなかったから、久々に間近でみると生々しくて、変に緊張したのかも。

Libertaさんの舞台の魅力は、要所に入るダンスや歌にもあります。華麗なダンスシーンは、まさに眼福。今回の公演では、スクールメイツやコンテンポラリー、モダンなど色んなダンスが楽しめました。もちろん、不必要に急に踊り出すわけじゃなくて、ちゃんとストーリや場面に沿ったダンスとか歌です。歌詞は、ミュージカルっぽく、すごくストレート。だから、2話目のイジメをテーマにした歌は、直接的すぎて痛かったです。歌も、とても上手で、気持ちが強く伝わってきたから、余計に痛かった。

1回目は、後ろ側の席で、全体を観て、2回目は前方の席で、細かく見るようにしてたのですが、前方の席だと演者さんの表情がよく見えて、1回目よりも、全ての話の主役たちに、気持ちが入りました。プロローグの女性含めて、死にたいと思う人達の表情、1話目での告白シーンでの表情、2話目の飛び降りる前の表情、3話目の苦しそうに笑う表情、それぞれに、とても引き込まれました。

自殺したい人達の話ではありますが、この話の中で死ぬ人は誰もいません。

この話の中では、自殺は、とても罪深いことなのです。

ツムギとイオリは、死にたいと思い、「死にたい」と口に出した人と契約を結ぼうとします。逆に、口に出せないと、契約を言い出せないようです。

「死にたい、いただきましたー!」とツムギは叫びます。口にだすことが、死への入口なのです。

いつから、死にたい、という言葉は、とてもポピュラーなものになったのでしょうか。寝坊したとか、スマホが壊れたとか、落し物したとか、ちょっとしたことで、口に出してしまいます。「もう、やだ、死にたい。」

マンガ『モテキ。』の中で、主人公は、「死にたいと何度も口に出すと形骸化する。」と言っています。形骸化。形だけのもの。意味を伴わない物。

現代日本人において、多分、「死にたい」は、すでに形骸化してるのだと思います。だって、口に出しても、本当に死ぬ人のほうが少ないもの。

「死にたい。」が辛い状況や気持ちを表す言葉になってきてるのなら、他に「死にたい」と同意義の別の言葉があれば、きっと、それでも、いいんです。「消えたい。」とか、「認識されたくない。」とか。誰かが上手い言葉を作ってくれればいいのに、と思います。

形骸化してるとは言え、本来の意味を考えれば、やっぱり、「死」は重すぎる。

できれば、簡単に口に出したくないし、誰かにも言ってほしくない。

そして、願わくば、自殺を選ぶ人がいなくなればいいと思う。

条件付とか、したくないです。線引しちゃうと、ここからは、死んでも仕方ない、ここまでは、生きててよし、とか、他人が決めてしまうことになるから。

「生きたい人が、生きればいい。」「死にたい人だけ、死ねばいい。」

でも、多分、本当に辛くて、頑張りたくなくて、もう誰にも期待したくなくて、もう、辞めよう、死のう、と思っていたところに、「あなたの自殺、お手伝いしますよ!」なんて言われたら、むしろ、死にたくなくなるかもしれないから、ツムギやイオリが本当にいればいいのになと思いました。そして、ツムギとイオリの秘密を知れば、もっと死にたくなくなるかもしれないと思いました。

余談ですが、友達目当てで、舞台を観に行ったはずなのに、1回目では、友達の出演シーンを2つほど見逃してました。我ながら視野狭いわ。そして、友達甲斐のない女でごめんよ。