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私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

タイム・ライトが眩しくて。

久しぶりに会社の飲み会がありました。今回は、翌日に予定があることもあり、あまり泥酔せず、ちゃんと電車で帰ることが出来たので、自分を褒めて上げたいと思います。明け方にふと目が覚めたら、ものすごく頭が痛くて、気持ち悪くて、一回リバースしちゃったので、それなりに飲んではいたようですが、2度めに目覚まし時計に起こされた時は、比較的すっきり起きられました。

飲み会には、可愛いあの子も来ていて、久しぶりに話せたし、ちゃっかり隣に座ったり、どさくさに紛れて腕を組むというセクハラもかましたし、あと半年ぐらいは顔を合わせなくても大丈夫そうです。相変わらずいい匂いさせてて、ちょっとクラっとしたけど、相変わらず話弾まないし、私に興味ないのが丸わかりだったので、やっぱり脳内のほうがいいなと思いました。

可愛いあの子の隣に座れたのは後半30分ぐらいで、それまでは、後輩女子と並んでいたのですが、5歳下の彼女には、なんていうか、驚かされるような、ほじくり返されてるような、かつての自分を見ているようで痛々しいような。人が何かを学んだり、知っていくには、それなりに時間が必要なんだなっていうことを、改めて考えさせられます。

私は、今でもたくさん失敗するし、暴言吐いたり失言したりします。でも、その度に、後悔したり、反省したりして、頻度は減っていると信じています。誰かに指摘されることもあったし、相手の態度から察することもあったし、そういう時間を経て、気をつけようと思える今に至ってるわけです。

彼女は今、その段階の途中にいるわけで、彼女とは違う場所に立っている私には、それがよく見える。それが、年を重ねるということなのかもしれません。

若い頃は、知ったようなことを言いやがって、アンタに何が分かる。最初から出来る奴に言われたくないんだよ!と、助言や苦言をくれる先輩に対して思っていました。

先輩が、日々を重ねた上や先にいるということすら、想像できていなかったんだと思います。時間を重ねて、経験を積むことでしか、理解できないことが、確かにあるんだ。そのことに気づくのにも、やっぱり時間が必要だった。少なくとも、私には。

お説教なんてするような、古臭くて面倒くさい大人になりたくないと思っていたけど、やっぱりかつての自分と同じようなことをしていると、私はそこからここに来たよ、と伝えたくなりますね。マウンティングになりそうだから、あんまり言いたくないけど、言うことで分かってくれたら、と思ってしまいます。でも、聞いてくれないのも、また自分が通った道だから、分かっちゃうんだよな。私の言葉一つで人が変わることなんてないってことも、私は知ってしまっている。それでも、彼女が無駄に傷つかないように、傷つけないように、と思います。悪い子ではないから、余計に、キツイです。上下関係とか体育会系的な繋がりとか、バカみたいだなって思うんですけど、そういうことを大事にしてきた人たちが上にいる以上、蔑ろにしても百害あって一利なしなんですよね。そういうことを、考えるようになるなんて、年を取ったなって思って、本当に嫌なんですけどね。

ただ、時間の経過を待てば、経験を積めるかっていうのは、また別の話で、この週末に、ついに町内会の役員・班長会議に出席したんですけど、思った以上に人少ないわ、内容グダグダだわで、たくさん大人が集まっても、経験者がいないと、進まないんだなって思いました。高齢の会長さんよりも、中年女性の副会長や会計さんのほうが、話をわかってるようだったし。私の地元や会社のある町内では、会長さんはここ数年の間変わらずにいるようですが、私の住んでる所は、ニュータウンぽくて還暦世代から上の方も多いような地域なので、候補が多いのか、何年も同じ方が役員をするわけではないみたいです。私は、特に思い入れもやる気もない班長なので、他の班長さんが連れて来られてた幼い姉妹にばかり目をやってました。下は5ヶ月ぐらい、上は4歳ぐらいで、超可愛かったです。最後に片付けををする時に、ドサクサに紛れて頭なでたりしちゃいました。会議は毎月あるので、毎月の彼女たちの成長を見ることを楽しみに出席しようと思います。

赤ちゃんや幼児を見てると、いいなぁ、可愛いなぁと思いますが、でも、このお母さんが育ててるから、こんなにいい子なんだよな、いつもいい子でいるわけじゃないんだよな、と考えてしまいます。現実的に自分がちゃんと育てられるか心配になるのです。自分一人で、ちゃんと育てられるのかな、と。旦那がいるのに。一人で対処することを前提にしていたのです。しQちゃんのイベントで、子持ちの人たちが若い方にアドバイスしているのを苦々しく思ったのは、自分が言われてるような気がしたからなんだと思います。そして、彼女たちの言葉は私が欲しいものじゃなかった。だから、嫌な気持ちになったのです。私は、彼女たちに、旦那にも頼りなよ、行政にもこんなサービスがあるよ、だから、最初から一人で頑張ろうとしなくていいんだよ、と言って欲しかったのです。自分が母親が一人で子育てをするのが普通だと思い込んでるからこそ、それを打破したくて、その気持ちを後押ししてくれる言葉が欲しかったのです。その思い込みを打破するか、自分一人でもやれる、独りででも頑張れるという気持ちになれるまで、積極的に子供が欲しいと口にだすのは難しい気がします。

旦那が帰ってくる前に、ホルモンバランスを崩したのは、身体からの何かのサインだったのでしょうか。ほっといても、治まらないので、ホルモン剤に頼ることになりました。2回目の内診で、超音波診断を受けたので、初めて自分の内部のエコー写真を見ました。白黒でモヤモヤしていて、なんだかよくわからなかった。何もいないことだけは明らかだった。私は、この写真に何かが映ることを望んでいるのかどうかもわからなくなった。ただ、初めてのエコー写真は、何かがいることを確かめるのではなく、何もないことを確かめるために見たというのが、なんだか虚しかった。このまま、ホルモン剤が思惑通りに効けば、しばらく病院や内診とは、また無縁でいられるでしょう。それが良いことなのか、悪いことなのか、それを知るのにも、また時間が必要なのかもしれない。時間は無限にあるものではないのに。