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私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

わたしとあなたが異なる偏旁というのはとんだ間違い。

久々に、トークイベントに行ってきました。6回目ぐらいかな。だいたい好きなエッセイストさんとかが、出版記念に行うイベントに行きます。今回は、こちらの出版記念イベントでした。

男しか行けない場所に女が行ってきました

男しか行けない場所に女が行ってきました

 

 田房さんは、ネットのコラムとかで知って、興味を持ったのですが、既刊のコミックエッセイは買ったことがなく、今回、初めて書籍を買いました。

文章自体はとても面白くて、すごく興味深いのですが、手放しで、面白い!最高です!とか言えるような内容ではなく、どんな反応するのが正解なのかな?と考えてしまうような感じでした。

男って、ほんとバカ!男って、なんて最悪!と、ヒステリックに叫ぶのは違うと思うし、かと言って、男の人も大変なのよね、仕方ないよね、と同調もできない。

トークイベント的には、『女の怒祭り』と称して、本の感想を中心に、こういう男って嫌だよね~と言い合うような、感じでした。

イベント自体は面白かったのですが、本を読んだ時と同じように、なんか、こう、立ち位置に困るというか、どういう気持でいるのが正解か、わからなくなるような場面が何回もありました。多分、性的な経験や、考え方って、個人的なものと、一般論と、分かれてるのが普通だと思ってるから、個人としては理解できるけど、それを一般論としておくのは、どうかな?みたいなこととか、逆に、一般的にはそうかもしれないけど、個人的には賛同できない、とか。自分の中に両方の考えが混在してる感じというか。

あと、登壇者の方々も、同じような職種ではあるけれど、当然、それぞれの考えがあるわけで、ちょっと首をひねりたくなるようなところもありました。

例えば、本の中に出てくる、密着型理髪店の話をしているなかで、登壇者の方の一人が、「私は、むしろ、経営したい。」と話されていて、これこそが、本の中に出てくる、脱ぐ女と脱がない女の溝、そのものだな、と思いました。だって、登壇者の方は、自分と、店に来る男だけに焦点を当てていて、働いている女の子のことを、これっぽっちも考えていないように思えたからです。

それも、結局は、私が、性産業で働くことを蔑視していて、女の子は、仕方なく、性を売っているんだ、と、思いたいからなのですが、それを棚に上げても、どうして、同じ女性が、女を売る立場になりたいと、言えるんだろうと、思ってしまいました。男性が異性に関して、憧れやファンタジーを語る時、それの何が怖くて、滑稽なのかと言えば、現実味がないからです。リアルに相手の気持ちを想像できていないからです。或いは、相手の気持ちを決めつけているからです。

「結婚したら、専業主婦になって、家を守って欲しいな。」と、言っている時、想像してるのは、自分を起こしてくれる奥さん、見送ってくれる奥さん、出迎えてくれる奥さん、給仕してくれる奥さんで、昼間、一人でいる間のことを想像していないんですよね。

本の中でも、育児を奥さんに丸投げして、風俗に通っている男性が出てきますが、その方も、自分がいない間、奥さんが子供とどんな風に過ごして、何を考えているかなんて、想像もしていないんじゃないでしょうか。自分に対して、面と向かって文句を言ってこないなら、それで問題ナシと思っていることが、本当に浅はかだなと。

この本を読んで、怒るのはとても簡単だと思います。ムカツク男しか出てこないし、世の中の男が全部こんなんなの?と思うと、クラクラします。もちろん、そんな男ばかりじゃないことは、わかってるつもりです。実際、イベントには男性の方も来ていて、積極的に質問していて、「女が男の世界に口出しすんじゃねーよ。」などと言う人は誰もおらず、もっとフラットに、ナチュラルに、女性は、こういう考え方をしているんだな、と受け止めている方達のように思いました。まぁ、そうじゃないと、わざわざお金出してイベント来ようとは思わないでしょうが。

彼らが、そういう考えになるのは、そういう考えを伝えてくれる、田房さんたちのような存在があるからです。声を上げるというのは、一時のことじゃなくて、未来に繋がるんだなと、なんだか感動してしまいました。

男尊女卑は歴史の一端に過ぎません。男が外に出て働き、女は家のことするという考えも、中流社会だからこそ維持できるもので、もっと国全体が貧しかったころは、男も女も働くのが普通でした。そもそも、務めに出るような会社もなかったわけです。

社会は変化し続けています。たった30年少し生きてるだけの私でも、子どもの頃と、今の常識がどんどん変わっているのを感じます。良し悪しは、後から分かると思います。ただ、変化していくのは、現状ではダメだと、声を上げて伝えていく人がいるからで、今すぐに、目の前の人を変えるのは無理でも、後世に伝えることで、社会全体の変化に繋がるんだなと思いました。

社会が男の物だと言うのは、通勤電車の中を見ればよく分かります。色んな世代の男性が、スーツを着て、電車に揺られています。彼らは、それぞれの会社で、それぞれの務めを果たして、会社や社会に貢献しているわけです。

イベントの中でも、缶コーヒーのCMの、「世界は誰かの仕事で出来ている。」というキャッチコピーには男しか含まれていないと、批判の声が上がりました。私は、缶コーヒーを飲むのは、サラリーマンがほとんどだから、その人達の琴線に触れるためには対象を絞るのは当然だよな、と思いましたが、でも、そもそも、そのキャッチコピーを当然のものとして、受け取れちゃうこの感覚、どうなの?とも思いました。

性差の話をする時、男と女の違いとして、まずあげられるのは、女は産む性質を持っているということです。妊娠している間、子どもが小さい間は、物理的に、働きに出ることが出来ません。生物的に人間は年中繁殖可能なので、連続の妊娠が可能です。昔は、妊娠して産んでいる間に一生を終えるのは、珍しくないことだったと思います。生物として、女は社会に出ていけなくて当然、とも言えます。でも、妊娠は一人では出来ません。相手が必要です。男は意図的に女を社会から締め出すことが出来るのです。

川崎の中学生が殺された事件を思い出しました。私は、最初にニュースを見た時に、成人男性が殺されたのだと思いました。子どもが、そんな残忍な殺され方をされるはずがないと、思っていたからです。結局、犯人とされる人物も未成年でした。ニュースが出た当初は、川崎の治安の悪さや、子どもの素行に注目が集まりましたが、被害者の少年が、5人兄弟で、母親がシングルマザーだとわかると、矛先は母親に向けられました。忙しさにかまけて、子どもを蔑ろにするなんて、母親失格、母親がもっと子供に向き合っていたら、こんなことにはならなかった、という意見と、いやいや、シングルマザーの辛さを想像してごらんよ、彼女は彼女で必死だったんだと思うよ。という意見、両方を見かけました。どちらが正しいか、答えなんてありません。答えを出す必要もないと思います。ただ、じゃぁ、どうしたら良かったの?と考えるしかないんだと思います。そもそも、と言い出すと、キリがありません。そもそも、シングルマザーにならなければ、子供を作らなければ、DVするような男と結婚しなければ、そんな男と出会わなければ。少なくとも自分としては、母親を責めるなら、父親も話題に上っていいはずだし、犯人とされる少年の家族も同じぐらい責められて仕方ないと思います。まぁ、面と向かって罵る権利は誰にも無いと思いますけどね。

5人子供を生むのも、離婚するのも、一人じゃ出来ません。孕ませた相手がいるし、離婚をしたくなるような夫がいた。DVがあったのなら、望んで妊娠したわけじゃないかもしれません。私は、被害少年の母親も、社会から意図的に切り離された一人だったんだじゃないかと思いました。女性は、簡単に虐げられる対象になれるのです。

トークの中で、本の感想として、男性を警戒しすぎ、自意識過剰じゃないか、という意見をもらったという話がありました。警戒するのは、そういう犯罪が実際にあるからです。自分が被害に合う可能性がゼロじゃないからです。もし、この世界に、男性と女性と男性を食べる女性がいたら、男性は女性と二人きりの状況になるのが怖いと思わないんでしょうか?もし、この女性がいきなり襲ってきたら、と考えたりしないんでしょうか?極論みたいですけど、事実、この世は、それに近いです。女性からしても、襲って来る男性とそうじゃない男性がいて、隣にいる男がどちからわからない。だから、怖いんです。そういえば、ムスリムの女性は、肌や髪をだすことを禁忌としてますが、あれは、男性を誘わないように、という意味らしいです。ようするに、そういうふうに女性が対処しなければ、男は襲ってしまっても仕方ないって、神様が言ってるってことですよね。それもヒドくない?ある意味男性には理性がないっていう、男性蔑視だと思うけどな。

それも、男性の性欲の肯定なんでしょうか。そもそも、風俗産業が成り立つのは、男性の性欲を肯定してるからですよね。あって当たり前。後ろめたく思う必要なし、溜まってるのなら発散させましょうってことを、おおっぴらに言えるから、恥ずかしげもなく、誰にでも見えるところに看板を出して、コンビニでも18禁の雑誌を表紙が見えるように並べて、電車の中吊り広告でも下世話なアオリを載せてるわけですよね。

消費してるのは、女性性だけど、搾取してるのは男性っていうのも、面白い構図だよな、と思います。男って、こういうのが、好きでしょ?こういうのなら、金を出しちゃうんでしょ?と男が言ってるじゃないですか。そこでは、女の子は、記号化していて、全然、人として扱ってないですよね。そうじゃないと、店が成り立たないですもんね。でも、サービスとして、「あなただけ、特別だよ♡」という人間性を期待していたりしている矛盾もあるし。おっパブの話でも、男同士のコミュニケーションの手段どして女性の身体を使ってるという話もありましたが、同僚や先輩がおっぱい触ったり舐めたりしてるのをよく直視出来るよな。そういえば、男子トイレでは、顔を見れる状態で精器を晒し合うわけだし、男同士って、女が思うより密な関係を築いてるのかな。

まぁ、こんな感じで、グタグダ色々考えてしまうようなイベントでした。

あと、本の中でも出てきて、イベントでも話題になっていたガスコンロセックスをする男の話で、結局は、相手にサービスしてやろうという気持ちがないから、そういう雑で一人よがりなことが出来るんだよね、という話になってましたが、なんか、諸々心当たりあり過ぎて、苦笑いしちゃいました。笑いたいけど、笑い飛ばせないみたいな。旦那も丁寧な時と雑な時と差があるし、自分も、旦那の身体使ったオナニーしちゃうときあるしなぁ、とか。風俗産業はどんどんニッチな方向に行ってるのに、生殖じゃないセックスに関しては、日本人は、まだまだ未熟なのかな、と思いました。

それは、結局、エロ本とかAVとか、性的な教本になるものが、男性目線で男性向けに作られてるものが、ほとんどだからじゃないでしょうか。今は、女性向けのAVもあるし、ティーン向けの漫画でも、普通にセックスするシーンもあるし、より、女性主体のものをドンドン増やして、女性は、こうされたいって思ってるんだよ、というのを男性が目にする機会が増えることで、相互理解が深まればいいな、と思います。ぜひ、女子向けのティーン漫画にあるような、ゴムを使うシーンや、ゴムがないから、挿入はナシで、というシーンを少年向けの漫画にも描かれるようになってほしいな。

イベントの最後の質問の答えとして、最初から、女としてみるんじゃなくて、人として接して欲しい、という意見がありました。なんて、至極当然のことを、女から、お願い申し上げないといけないのか、という気持ちを持てるのは、先人たちが、声を上げ続けてくれたからだなと、というところで、終わりにしときます。

わたしは、あなたとおなじ、にんげんだもの。