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私の事しか語れない。

日々の彼是。脳内垂れ流し。

信じるものが救われたい。

節分が終わったので、やっと厄祓いに行ってこられました。近場でそれなりに大きい神社にお願いしに行ったら、大勢の方がご祈祷をお願いしに来ていて、さすがに観光名所は違うな、と思いました。

祝詞を上げていただくのですが、その際に、「〇〇厄除け、〇〇家内安全・・・」など、名前と祈願の内容をつらつら言っていくのが、なんだか面白かったです。だって、数が多すぎるんだもん。40人近く一緒にやった気がする。

宮司さんがどんな動きしてるのか見たかったんですけど、神事は見てはいけないらしく、頭を下げていたので確認できなかったのが、残念でした。

立派な御札を頂いて、無事にお祓いしてもらったので、これで今年は大丈夫です。そういうことにします。こういうのは、気持ちが大事。

厄祓いの後は、せっかく観光名所に来ていたので、テレビで紹介されたお店でお昼を食べたり、通りがかったオサレなコーヒー屋さんで、美味しいコーヒー飲みつつ、隣の男女の話に聞き耳立てたり、食べログ上位のジェラート屋さんで敷居の高いジェラートを食べたりして、楽しみました。観光名所なら、デジイチぶら下げてれば、女一人でウロウロしてても結構平気です。

こういう話を、友達にすると、「一人でどこでも行けてすごいね~。」と言われるんですが、私だって、出来れば彼氏とか友達とかと行きたいです。

なので、その翌日に、友達と一緒にホテルのランチビュッフェに行った時の方が、よっぽど楽しかったです。色々美味しいものを食べながらお話して、たくさん笑って、すごくリフレッシュ出来ました。

明るい人と一緒にいると明るくなれるな、と思うので、私も表面上だけでも明るくいたいな、と思います。もっと、愛想よくなりたいし、第一印象よくなりたいな。顔が怖いとか言われるの嫌だ。私はどちらかというとナルシシストなので、鏡の中の自分ばかりを見ていて、自分の顔をわかってないらしく、自分で思っているのと実際の表情は違うのかもな、と思いました。

というのも、ビュッフェの後に、昨年の夏頃に撮影してくれたプロのカメラマンさんが、開いた個展を観に行ったのですが、飾ってあった写真が、ちょっと意外というか、ああ、こういうのを選ぶんだって感じで、自分の、自分に対するイメージが、壊されたような感じがしたのです。

同じくモデルをやった友達の写真も展示されていたのですが、それは、割りとイメージ通りというか、やっぱりこの写真いいよね、と思えるような感じだったので、余計にそう思いました。

その時に、撮影データも頂けたので、帰宅してから見てみたのですが、正直、ああ、私、こんな顔なんだ・・・ガッカリ。って感じでした。

女性に自分の美しさを発見してもらいたいというコンセプトで一般人の私を撮ってくださったのに、私は最初から自分を歪んで、良い方に見ていたので、逆に真実を突きつけられた感じです。別に、人と比べて美人だとか思っているわけではないですし、誰かに綺麗だね、とか可愛いね、と言われたら、全力で否定するぐらいの自意識と美意識は持ってるつもりですが、割りと強めのフィルター使ってたみたいで、そのことにも、ガッカリでした。

衝撃が強くて、否定的なことばかり言いましたけど、写真は綺麗に撮ってもらえてます。友達にも、「全然違うね~。」といい方に言ってもらえるぐらいでしたし。実物よりはだいぶ、上方修正されて写ってます。

見た目地味で、大人しそうで自信無さそうで、写真なんて恥ずかしくて苦手ですって雰囲気な私なので、カメラマンさんからしたら、そのままでも綺麗ですよ、素敵なところもたくさんありますよ、って教えてくれるような気持ちで、撮ってくださっていたのですが、ごめんなさい、私、見た目より全然、傲慢で自意識過剰で、自己顕示欲の塊なんです。

女性が誰しも持っている爽やかな色気を引き出すのがコンセプトの一つだったらしくて、セクシーを褒めるような言葉も頂きましたが、すみません、知ってます。真面目そうで、そういうの、苦手そうに見えるかもしれませんけど、頭の中は割りとそういうことばっかりなんで、滲みでるの当然だと思います。

頂いたデータを見ていて、悪いところばかり目につくのは、いつも良い方に歪めているか、見ないふりをしてるってことですよね。もっと、ふいに電車の窓に写った自分とかを受け止めていこう。改善するには、何事も現状把握が大事。

でも、自分が信じているものを否定されるのは、辛いし、認めたくないですよね。友達から、身近な人の2chの家庭板みたいな修羅場話を聞いて、自分含めて、人間を変えるというのは、難しいし、解決というものは、ないのかもな、と思いました。誰だって、それぞれに自分が持つ真実のようなものがあるけれど、せめて、「それぞれが、違うものを、信じることがある。」という事実ぐらいは知っておきたいな、と思います。その信じるものが、正しいかどうか、というのは、判断できないけど、自分と違う人間がいるということを認知することから、関係性や繋がりが始まるのではないでしょうか。まぁ、この考え方自体も、時代や環境に影響されたものに過ぎないので、普遍ではないですけどね。

でも、頭ごなしに、自分が正しい、間違ってるのはお前だ、と言うのはあまりに安易で短絡的だと思っちゃいますよね。一方の話しか聞いてないから、それも短絡的な思考かもしれませんけど。

しかし、まとめサイトにでも上げられてそうな話って、本当にあるんだな、と衝撃でした。かなり、あるあるネタだけど、実際に渦中にいる方は大変だよね。

なんて、他人事みたいに言ってても、いつ、自分が同じようなことになるかわからないから、怖いわぁ。私の場合は、旦那が出張に行ってる分、保留にしてることが多すぎる気がする。出張の予定自体は、まだ続きそうだから、保留してる間に不満と思考のスレ違いが、霧散してくれたらいいのにな、と思うけど、そんな都合のいいことあるわけないし、それって逃げてるだけだわ。

辛いことには立ちむわなければならないっていうのも、時代と環境が言わせる理屈かもしれないけど、逃げていい理屈もないから、自分が立ち向かなきゃ、と思うなら、そうしようと思います。

できないことも多いけどね。それも含めて、私だから、それでいいのさ。